京都府京丹後市久美浜町
八幡山の裾部に「磐座」と呼ばれる岩の群れが残る。
いつから「磐座」という名前が定着したのかは不明である。
境内社の八幡神社に隣接して岩が集積する。 |
現地看板によると、かつては女人禁制だったとのこと。 |
「磐座」の最奥部。 |
近年、「鬼滅の刃」の「聖地」としてとみに取りざたされる。
地元での働きかけも手伝ってのことだろう。
「太刀」で「割れ目」なので、鬼滅の刃と相性が相当良いのだと思われる。
しかし社伝となっている、大己貴命が太刀で岩石を斬って割れ目が生まれたという「剣岩」は、この「磐座」群の場所ではなく、神谷神社境内に別に垣に囲われて存在するらしいので注意が必要だ。
すでに、「磐座」を「剣岩」のことだと勘違いしている人も多いのではないか?
(私も誤解していた)
参道も歩いたつもりだったが、剣岩は積雪で見落としたか… |
剣岩のほうが太刀宮としての伝承はもちろん、鬼滅の刃にも親和性の高い岩なので認知度がもっと上がってもいいものだが、「磐座」のほうが「巨石」なので、そこは「映え」の問題なのだろう。
また、平成27年以降は現地看板に、「割れ目の隙間からさす朝日の角度で、田植えなど農作業に適した時期を知ることが出来たと伝わり」(前掲記事)という旨の説明文が加わったらしいが、「伝承」としてはあまり聞かない類の話のため、典拠が気になる。
いつの何という文献に、あるいは、誰が伝えたのかの明記が必要だろう。
さらに、地元では太陽観測施設説の観点から独自研究を進めている郷土史家の方もいるらしいが、研究であるなら研究者名としかるべき論文を確認したうえで、その先のPR活動などはなされるべきだろう。
鬼滅の刃にしても、巨石太陽観測施設説にしても、ローカルな岩石信仰を一種のグローバリズム的発想で上書きしてしまう危険性がもっと知られてもいいと思う。
本来のありかたがわかりにくくなってしまうことと、外部の発想の影響によって歴史が少なからず変節してしまうことに、地元の方のなかで問題提起される方が今後登場することを願っている。
その点において、いろいろと現代的な問題が詰まった場所として、今後の動静も含め注目している。
なお、神谷神社の旧地は西方の久美浜町神谷にあったという説があるので、太刀宮の「磐座」を延喜式内の神谷神社と関連させるのは慎重でありたい。
(ただし、太刀宮自体の創建も奈良時代に遡る社伝は有しているので、「磐座」を太刀宮の祭祀の系譜に位置付けること自体は問題ではない。「磐座」が存する場所は八幡山および八幡神社の名を冠していることも留意)
参考文献
下記サイトには、神谷太刀宮に関する文献記述が豊富に収集されている。
斎藤喜一氏「久美浜(くみはま) 京丹後市久美浜町久美浜一区」(サイト「丹後の地名」内) 2021年10月17日閲覧
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