京都府宮津市宮本
宮津市の中心街に位置する和貴宮(わきみや/わきのみや)神社は、かつて「分宮」「別宮」「脇宮」の字を用い、丹後国一宮・籠神社の別社として位置づけられた旨の説がある。
和貴宮神社の境内には、水越岩(みなこしいわ・みこしいわ)が盤踞している。
(別称として波越岩・波越巖もあり)
和貴宮神社 |
水越岩の由来にはっきりしたものはなく、昔は岩に貝殻がひっついていたという話から水越岩までがかつての宮津の海岸線であったとか、神様がこの岩に座り釣りを楽しんだとか、はたまた陸と海の境界に鎮まる「依代」であったとか諸説ある。
もともとは岩礁の一部だった可能性は十分にある。
ここから現在の海岸線までは1kmも離れておらず、海岸線からの比高も数mの立地、岩の名前や付帯する情報全てが海に関わることなどを合わせると、特に異を挟む部分はない。
岩石信仰上の問題は、水越岩が海岸の岩塊だったとして、それがランドマークとしての対象にとどまっていたものか、それとも後世に神社が設けられるほどの神聖視の対象だったのかというところにある。
現在、水越岩の上には小祠が置かれ、少なくとも今は神聖視されているようにみえる。
しかし過去はどうか。
たとえば宮津市文化財保護協力委員や宮津地方史研究会委員などを歴任した、宮津の歴史・文化に詳しい宮城益雄氏の著書『宮津ええとこ』(あまのはしだて出版、2008年)では、水越岩について「その年代や、神社との関係は判然とはしない」と記されている。
現地の観光地図や昨今の観光冊子、インターネット上には「依代」「磐座」と記載しているものも散見されるが、この岩をまつっていたという歴史上の明確な記述は今のところ探せていない。
たとえば駅の観光地図には「神の依り代」とある。 |
しかし神社境内の看板は水越岩を海辺の跡とするにとどめる。この差に注意。 |
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