拙著『岩石を信仰していた日本人』で、一節を設けて報告した場所。
神神社の岩境(みわじんじゃのいわさか)
神神社拝殿背後に存在。 |
三ッ鳥居 |
三ッ鳥居(禁足地)の奥に岩境があるというが、遠くからは見えない。
岩境の前に、5対の大きな御幣を立てて山宮祭(やまみやさい)が行われる。岩境は社殿建立以前の祭祀場だったといわれ、辺りは小丘状に盛り上がる。
現在でこそ住宅地と道路で仕切られるものの、等高線の流れを見ると高草山の西方に広がる丘陵帯の最西端を占める。神神社からは、なだらかな三角形の山容を見せる高草山を望むことができる。
神神社から望む高草山 |
三輪の山の神
岡部町三輪公民館前(藤枝市)の地図に、「三輪の山の神」のほぼ正確なポイントが落ちている(2022年3月現在、Googleマップにもマッピングされている)。
神神社の三ッ鳥居は高草山山頂を向かず、山の北西山腹方向を向き、地図上では三輪の山の神が位置する。
高草山は林道が張り巡らされ、これを利用して車で山の神の手前までたどりつける。普通車で対向車もすれ違える道幅の立派な林道となっている。
山の神へ取り付く山道には注連縄が渡され、解説板も標示されわかりやすい。山道は、三輪川の水源の1つとなる谷間沢沿いに進む。
三輪の山の神 入口 |
傍示 |
沢沿いを進む。 |
三輪の山の神。右に沢が流れる。 |
山の神 近景 |
山の神祭で使用されたと思われる祭具類が残る。 |
関方の山の神
岡部町三輪の南隣に接する関方地区(焼津市)へ向かうと、関方登山口の手前に「関方の山の神」の存在を示す看板が立つ。ただ、三輪公民館のそれに比べてアバウトな位置を示す。
当初この地図を参考に、関方の山の神に取り付ける車道まで来たが、三輪の山の神と違って入り口に案内の類が一切見当たらない。さらに、車道から山中に入っていく踏み跡(最初の数段だけ石段やコンクリ固めがしてある)が何ヶ所も存在し、どれが山の神へ取りつく道なのかわからない。
2~3か所の入口を少し踏み入れたものの、登るとさらに道が分岐し、いずれの踏み跡も細く頼りない。車道を歩く地元の人もおらず、保険用にメモしていた焼津市歴史民俗資料館に電話で尋ねるも、言葉では説明できない場所で現地の人の案内がないと難しいとのこと。
そこで初回の探訪(2009年5月3日)では探索をあきらめたが、後日ヒントとなる写真を見つけることができた。
http://mumon-endainikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-705a.html
(無門さんのブログ「無門の縁台日記」より)
関方山の神祭りの2009年2月の貴重なレポートであり、この記事の5枚目の写真が山の神への入口らしい。コンクリート階段の向きと木箱の存在から、複数の踏み跡の中から入口を特定できる。
そこで同年9月13日再訪して、ブログ写真と同じ入口を発見できた。
関方の山の神 入口(写真右の石段から) |
しかし、登り始めてすぐに踏み跡がわかりにくいレベルに道が怪しくなる。季節柄、藪の繁り具合が半端ではなかったというのもあるが、分岐のような場所も見られどれが山の神へのルートなのか迷うので注意である。
言葉でルートを説明するのは難しいが、あえて言うと下記が注意点である。
- 登ったらすぐ、流水路(晴天時は水が流れていない程度)をまたぐ踏み跡の方へ進む。
- コツは、山の上方を登るというより、なだらかに北東方向に続く比較的ましな踏み跡を進む。
- 途中、踏み跡がブッシュで埋もれるが(9月時点)臆せず進む。
- さらに進むと、踏み跡が崩れないよう斜面を丸太で垣状に保護した地点があるので、そこまでくればあと少し。
入口からトータルで10分ほど歩くと、関方の山の神が姿を現す。
関方の山の神 |
山の神 近景 |
側面から。竹矢と榊が供えられていた。 |
山の神に横たわる竜神の形代(写真下部の藁) |
竜神は岩石の下部先端を横渡しするように残されていた。 |
裏の谷間にも2ヶ所の露岩が確認できる(写真左手前と右奥) |
関方山の神祭りの説明看板(現地にはなく麓にある) |
尾根地形に出現した露岩をまつったもので、三輪の山の神が谷間立地であったのとは対照的でもある。
関方の山の神においても、尾根の両側は谷間地形なので雨が降れば沢になるかもしれないが、水が常時流れている沢は目視できる範囲では見当たらなかった。
山の神直会場、時石、その他
関方の山の神から、標高ベースで約50m下方の斜面に「山の神直会場」がある。
地理的には、山の神に相対するように谷の反対側へ設けられている。
ここは車の離合箇所が特に広く作られ、祭りの時は格好の直会スペースとなるのだろう。
山の神直会場 |
また、高草山中には「時石」と呼ばれる岩石が存在する。
三輪の山の神がある谷から東へ進んだ谷間の標高約150m地点に位置し、谷の東崖上に今にも落ちそうな楕円形の岩石があり、これが時石である。
岩石の表面は風化浸食激しく、傍らに木製の由緒板も建つが、字の大部分が消えおちて読めない。
時石(南から) |
時石(東から) |
現地看板 |
わずかに読めた字から推測するに、正午になると日光がちょうどこの岩石の頭上を照らすことから、山道を往来する人や山仕事をする人に対して正午を知らせることから「時石」の名があるようだ。そして、赤ん坊に乳を飲ませる目印にもしたようだが残念ながらそれ以上は判読できなかった。
また、現在閲覧することができないが、「ふるさと探訪05」(ウェブサイト「ティールーム高草野」内)というページには高草山周辺の多くの岩石が記録されていた。ネット情報なき今、代わりに以下紹介する。
- 高草山中腹には「ボタモチ石」「オカメ石」「ムジナ石」などがあるという。
- 関方に隣接する策牛地区には「おくまの石」という岩石があり、紅や白の「カナ糸」を供えることで機織り・裁縫の願掛けを行なっていたという。
- 関方に隣接する方の上地区の宮街道沿いの斜面上に、馬の蹄跡が残るという岩石がある。
最後となるが、高草山の北西麓の国道1号線近くに立石神社(藤枝市岡部町内谷)という神社を見かけた。
名前に惹かれて立石を探したが、見当たらなかった。ここは明治時代の合祀時に地名から神社名を立石神社と名付けたものというが、地名としての立石が存在した可能性は残る。
立石神社由緒 |
立石神社境内にあった石祠と露岩。これを立石と見るのは疑問? |
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。