埼玉県児玉郡美里町猪俣
こぶ石は「瘤石」とも書き、拙著『岩石を信仰していた日本人』で一節を設けて報告した。
古墳時代~平安時代の長期間にわたる祭祀遺物が出土し、こぶ石を古墳時代当時から祭祀に用いたと考えられる。
こぶ石が元で名付けられたと思われる字名の「こぶヶ谷戸」を取り、こぶヶ谷戸祭祀遺跡(瘤ヶ谷戸祭祀遺跡)の名で知られている。
こぶ石は、所有者の株式会社横関酒造店の敷地内に現存する。
お店のホームページにおいても、こぶ石が下リンクのとおり紹介されている。
私が訪問した折、所有者の方はとても親切に対応してくださったので、願い出れば見せていただけると思うが、あくまでもよそ様の土地の中であることをご了承願いたい。
会社概要|横関酒造店|美里町
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こぶ石(中央の二石。周囲の石囲いは現代の設置) |
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こぶ石の表面 |
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こぶ石のすぐ近くではバイパス工事がなされていた。 |
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横関酒造店 |
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こぶヶ谷戸祭祀遺跡の出土遺物(美里町遺跡の森館展示品) |
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同じく展示品より |
こぶ石は往時は高さ約2mほどあったといわれるが、現在は地表にわずか露出している状態であり、また、2個の露頭に分かれている。下に埋もれているという可能性もあるが、岩石自体は何らかの経緯で摩耗したのかもしれない。
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こぶヶ谷戸祭祀遺跡は二つの川の合流点に立地するという地理的特徴があったが、バイパス工事と共に護岸工事も行われ景観が変わっている。 |
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かつての合流地点の様子(こぶ石は合流点の東に立地) |
こぶ石は、猪俣の七石または猪俣の七名石の一つといわれる。
その名のとおり、猪俣地区には7つの名だたる岩石があるということで、こぶ石以外で鏡石・福石・爺石(ぢぢいいし)・姥石・唸石(うなりいし)・櫃石(ひついし)が存在するという。
しかし、どうやら現在では有名とは言い難い状態のようで、こぶ石以外の6つの岩石についてなかなか詳しい情報が出てこない。
唯一、もっとも詳細な情報を記録しているのが、本間久英氏が著した「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」『東京学芸大学紀要』54(2002年)である。下記でオンライン公開されている。
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/42575/1/03716813_54_06.pdf
上記文献より、それぞれの七石の情報を引用する。
- 瘤石 猪俣瘤ヶ谷にある。地表に出ている部分の長さは2m30㎝である。村人はこれを掘ると祟りがあるというので掘った人はいない。
- 鏡石 猪俣上平にある。高さ2m、幅1m30㎝、横3mあって、上面が滑らかで鏡に似ているところから名付けられた。
- 福石 猪俣福石の通称湯脇谷にある。高さ1m30㎝、周囲3m、その形が大黒点に似ているところから名付けて福石という。
- 爺石 正円寺谷の南にある。高さ1m30㎝、周囲6mで、現在は沢の中に落ち込んで流れに埋まっている。
- 姥石 猪俣姥石にある。高さ1m余り、周囲は6mばかりである。この付近を姥平と呼んでいる。
- 唸石 記載なし
- 櫃石 薬師前大地台にあったが、現在は美里村甘糟の岡寄氏の屋敷内に移った。長さ2m、幅1m程の物である。
上記は児玉郡児玉町町史編纂室からの回答(美里町ではない)とのことだが、それぞれの石は計測数値(1m30㎝が多いのが気になる。元来は尺貫法などでの記録か)が載せられていることから、おそらく自治体史編纂時に各石が調査・記録されたようだ。
「村人」「美里村」という書き方から、村制時代の1954~1984年頃の情報に基づくと思われる。
たとえば、櫃石が2022年現在も岡寄家の敷地内にあるのか、爺石が今も沢の中に落ち込んだままなのか、この数十年の土地開発の中で失われた岩石はないのかなど、改めて再確認が必要なのではないかと不安が残る。
また、こぶ石は祟りがあるから掘ってはいけないという禁忌が記されているが、ほぼ同時期にこぶ石は発掘調査を少なくとも2回受けている。
この発掘行為と伝承が相互にどのように影響しあったかは興味深いところである。