2001年~2022年運営していた掲示板の投稿を保存します。
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お知らせ
投稿者:管理人MURY
サイトの更新が当分できなくなるため、掲示板も管理ができなくなります。
なので誠に勝手で申し訳ないのですが、この掲示板の利用を停止させていただきます。更新が再びできる時が来たら、また新しく掲示板を設置するつもりです。
長い間、色んな方にご利用いただきありがとうございました。
天白磐座遺跡に関する講演会 No: 829 [返信][削除]
投稿者:引佐町歴文会 05/02/19 Sat 13:20:09
日時 2005年3月5日(土)午後2より
講師 辰巳和弘(同志社大学教授)
演題 遠江に探る、日本文化の原点―古代「井の国」の輝き
会場 引佐町多目的研修センター(引佐町役場の東隣)
主催 引佐町歴史と文化を守る会
問い合わせは大谷静夫(℡053ー542-0088)
Re: 三つ柱の鳥居 Prev: 827 / No: 828 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/02/14 Mon 16:22:44
> ahotarukunさん
どうもはじめまして。
蚕ノ社の三柱鳥居、知ってます。私が行ったのは3年前ですが、確かに鳥居下の池は枯れていましたね。
HPも拝見させてもらいました。池水が枯渇している理由がよく分かりました。報告書関連も充実していて、以後色々とここら辺のことを学ぶ時には、参考にさせてもらうことになりそうです。
三柱鳥居は、なんで三柱なんでしょうね?
色々な説は聞きますけど、どれも確証がないので、私は考えを保留しているところです。お役に立てずすいません。
ただ、三柱鳥居の中心にある積石施設が依り代で、神の宿る磐座であるという説があるのを考えれば、一方だけではなく三方を鳥居で聖俗区画している役割があるのは確実でしょう。
当たり前のことですが、鳥居は聖俗区画をする施設ですからね。それを一方向だけではなく、依り代の周りを全て取り囲むという、過剰なくらいに聖俗区画表示をしたかったのではないでしょうか。その現われが三柱鳥居であると。
伏見稲荷の千本鳥居も、鳥居を無数に並べることで執拗なぐらいに聖俗区画をしている例として捉えることができると思います。それと基本的な思考は一緒で、表現方法が伏見稲荷と蚕ノ社で異なっているという感じでしょうか。
でも、なぜ三方なのかは分かりません。鳥居で周りを取り囲むなら、四方でも良いはずなんですけどね。「3」に意味があるのかどうかは、私の弱い分野なので分からないです。
三柱鳥居は他にもある(東京都墨田区向島町の三囲神社など)という話をおぼろげに聞いていたので調べてみましたが、どうやらどこも、蚕ノ社のものを模して後世に作ったもののようですね。
私はこの程度のことしかちょっと言えません。誰かこの掲示板を見てくれている人の中で、この三柱鳥居に詳しい方はいらっしゃればお説を伺いたいと思います。
三つ柱の鳥居 Follow: 828 / No: 827 [返信][削除]
投稿者:ahotarukun 05/02/13 Sun 17:40:16
はじめまして。
ahotarukunともうします。
(木嶋神社の湧き水を復活させる会のHPを作らせていただいております)
神社について詳しい方々の集まりのように思いましたので投稿をさせていただきました。
三つ柱の鳥居で知られる京都・木嶋神社(蚕ノ社)の鳥居はなぜ三つ柱だとお考えになられるでしょうか。
なお、柱の断面は8角形です。
3本足のヤタガラスがご神体の湧き水を守っているという説がありますが・・・
http://www.konosimawakimizu.vis.ne.jp/
・・・ No: 826 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/02/08 Tue 00:04:34
先週の土曜から寝込んでいました。今日ぐらいからだいぶマシになりました。
まあ大したことでもないんですけど、詳細はまた日記にでも書きます。
> veetenさん
ごぶさたです。
石上神社の報告、読ませていただきました。いや~懐かしの光景ばかりを収めた写真ばかりで、ちょっと感傷に浸っちゃいましたよ。私の撮った写真は消失したので・・・。
八丁岩もわざわざ調べていただいて感激です。そうでしたか~、もしかしたら八丁岩というのは単なる地名なのかな~。石切場だから、露岩がありそうな場所ではありそうなんですけどね。
veetenさんの報告の方で驚いたのは、近くの資料館に石上神社の平面図があるんですね。実測図というよりかはスケッチ図という感じですけど。あんなに環状に巡っていたかなとは思いますけど。でもあの図があれば、私のサイトの汚い略図なんて要らないじゃないかと思ったり(笑)。
でも巨岩の下に棒石を差し込むような構造が2ヶ所にあるんですから、今から思えばここの人為性は他の事例よりも高いなーと思いますね。
> 伯耆太一さん
はじめまして。いきなり私の分からないキーワードが色々あるんですけど(安来の元出雲王陵とか)、教えてくれれば嬉しいです。
文脈としては、元出雲の出雲大神宮に絡んでの話ということでよろしいでしょうか?
八洲河原 No: 825 [返信][削除]
投稿者:伯耆太一 05/02/06 Sun 22:20:49
元出雲も出雲。安来の元出雲王陵も
見逃せませんね。
石上神社 No: 824 [返信][削除]
投稿者:veeten 05/02/04 Fri 22:51:06
MURYさんおひさしぶりです!先日淡路島の石上神社へ調査に行ってまいりました。調査報告をUPしてますのでのでご覧下さい。例によってあくまでも主観的傾向が強いのでその分は差っ引いて下さいね。MURYさんが報告書で触れていた八丁岩について地元の古老に聞いたところ昔は石切場だったということでした。実際にその場所を確認しましたが石の切られた様な窪地はありましたが祭祀岩石は見受けられませんでした、切り取られた部分に何があったかは残念ながら推測不能です。
ところで最近四国では忌部サミットの話題が盛り上がっております。場所は徳島県山川町山崎の忌部神社、平成の大嘗祭に麻のアラタエを献上した神社です。開催予定は6月に決定しました詳細が決まればお知らせいたします。
http://www10.ocn.ne.jp/~veeten//index.html
Re: 天神山 Prev: 822 / No: 823 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/01/30 Sun 04:27:43
> たけさん
暖かいけど天気は芳しくないからさ、写真写りが悪いわけよ。ボロデジカメだから。気温より天候、これに限るホント。
実はいま天神山レポ作成真っ最中です。とりあえず一区切り付けて寝ます。まだ半分も行っていませんが・・・そんなに多くは書かないつもりです。読むのおっくうだろうし、自分も最近はあんまり文章作成に時間を割きたくない(笑)
あ、新レポに共同探訪者として名前載せますから、よろしくです。
また城探訪の件も連絡ください。
天神山 Follow: 823 / No: 822 [返信][削除]
投稿者:たけ 05/01/29 Sat 18:26:41
どうも。
この前はご苦労様でした。たしかに死にかけましたね(笑)自然は恐い。
まぁしかし、なかなかうまくはいかないものです。
今日はかなり暖かくなったけど来週から極寒期に入るようなのでつらいねえ。
今日行けば良かったんちゃいます(笑)
また連絡しますわね。
http://homepage1.nifty.com/rekisi/
Re: 女夫岩 Prev: 820 / No: 821 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/01/28 Fri 23:06:22
> あんでっどさん
サイトのほう見ました。
うーん、いや実は私も気になってるんですよね。
こういう想念が生まれる理由ってなんだろう、と考えるだけでわくわくしますよ。
女夫岩のこの言い伝えを聞いた時、初めて聞いた気がしなかったんですよ。
だから私もどこかで別の事例を見たことがあるのかもしれません。岩石ではなかったかもしれませんが・・・。
最近の私のレポなんですが、集成表の民俗学的情報という項目は、あんでっどさんの「巨石の民俗学」に影響を受けた形でまとめてます。あのページ実は好きです。使えれば使ってあげてください。
女夫岩 Follow: 821 / No: 820 [返信][削除]
投稿者:あんでっど 05/01/28 Fri 02:57:58
こんばんわ。
MURYさんの興味範囲とは少し離れるかもしれませんが、
「遠く離れた別の巨石と地中でつながっている」と伝えられる
聖石って意外に多くあるのではないか、と記事を拝見してふと思いました。
ちゃんと調べたことがないので、ぱっと思い出せるのを列挙しておくと、
・笠石:三重県白樫竜王山
・立石:東京都葛飾区立石
http://nats12.cool.ne.jp/SHINREI/KANTO.1/TATEISHI/tateishi.html
……列挙と言いつつ二件しか思い出せませんでした。
要石、玉石なんかもそうなのかなぁ。
岐阜県、島根県あたりにも何かあった気が
しますがまったく思い出せません(´・ω・`)
ちょっと気になるのでうちのネタとしていただいて帰ります<(_ _)>
金生遺跡行ってみたいもんです Prev: 818 / No: 819 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/01/27 Thu 22:05:22
> みおさん
縄文時代の集落遺跡から、よく川原石っぽい丸っこい小石が使用品みたいな形で出てくることがあるらしいです。金生遺跡の場合は小石を並べて動かしてはいけないものだったのでしょうが、動かして使う石もあったんでしょうかね。
縄文の岩石祭祀は、石を並べ置きするのが目立ちますね。弥生時代のは、石を1個なにかの標識みたいに置くのは多少見られますが、自然に露出・屹立したまんまの岩を祀るケースが目立ちます。縄文時代の遺跡でこういうケースを聞いたことがないのが意外なんです。
Follow: 819 / No: 818 [返信][削除]
投稿者:たかおとみお 05/01/25 Tue 12:22:18
最近、山梨県の金生遺跡の写真を見ました。
白壁作りの家にも驚きましたが、それよりも石がゴロゴロ置いてあること。その中にコンセイ様っていうのでしょうか、石の棒が立ててあるのですが、他の石は大小の自然石。
(私にはこういう場所が神域という感じです。だから、六甲山なんかで自然石がゴロゴロしている斜面を見ると、ケイケンな気持ちになってしまいます(笑)。超古代文明の祭祀場跡かって思う人の気持ちもわかる^^;)
現代人の感覚だと、なんかそれらしい形に、はずったりつづくったり(この言葉、最近聞いている桂枝雀さんの落語で覚えました^^)して並べたくなると思います。実際、もっと時代が下ると石造りの神殿とかがありますが、そうしてしまうと、石は建材になってる。もう石そのものに対する畏怖みたいなものは無いのかもしれませんね。石を積極的に加工し始めるのは石そのものに対する畏怖が薄れてきているということでもあるのでしょうか。
子供の時、遠足とかにいくと、石を拾って帰りました。
石って何か不思議な感じでした。石がどうやってできるかを知らなかった古代人は私の何倍も不思議だっただろうと思います。ちょうど、宇宙の外側はどうなっているんだろうと考えてるとメマイがしてくる時みたいな不思議さだったのかも。
そう思うと、大小の自然石を無造作に集めているみたいに見える金生遺跡は、縄文人の信仰心を示しているように見えました。パワー・ストーンという言い方がありますが、縄文人には石はみんなパワー・ストーンだったのかもしれませんね。
「石のことを理解できた。石に不思議さなんて無い」、と思うと石が信仰の対象でなくなるのでしょうか。ってことは、信仰は無知に基づくってことになる?
私としては、現実は重層的で深く見れば見るほど展開してゆくと気づくことが信仰の核にあると思いたいです。(科学的に言っても、ミクロ的やマクロ的に見ることで、一つの現実が全然違う有様を示すわけだし)
だから、古代人が素朴に自然を畏怖した感性が現代人には気にかかるのではないかと思います。そして、石に対する信仰がすたれていくのを見ると寂しい感じがするのではないかと思いました。
http://www.geocities.jp/maka_shuri/
Re: 愛知の磐座報告 Prev: 816 / No: 817 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/01/15 Sat 01:38:43
> 神山さん
『愛知発 巨石信仰』ひらけてみました。
(この本があるから、私のサイトの実例コーナーの愛知県はもう放置状態です)
足助町の多いこと!
詳しい場所も付属の地図で見てみると、分布の濃い所ですね!迂闊でした。
また、最後に書かれている聞き取りはすごく貴重ですよ。
偶然見つけたということは『愛知発 巨石信仰』にも載っていないということですよね?忘れないよう、ぜひ地図上に点を落としておいてください(道に迷ってとのことですので、詳しい場所が分からないかもしれませんが・・・)。
信仰がなくなり、特別視も失われつつある岩石の例なんですね。「お伊勢岩」という名前が分かり、こういう形で記録に残っただけでも大きな成果があると思います。大事な資料紹介として1本記事が書けるんではないでしょうか、とも思ってしまいました。
愛知の磐座報告 Follow: 817 / No: 816 [返信][削除]
投稿者:神山一夫 05/01/12 Wed 22:44:12
連休中、『愛知発 巨石信仰』を片手に、足助町周辺をうろうろしてきました。想像以上に「むっちゃ濃いやん!」的地域でした。印象深い二例を報告します。
足助町則定、秋葉山頂に上ったのですが、まったくの頂上に、いきなり高さ10mほどの垂直な立石が聳え立っています。そしてその正面方向の至近距離には、見事な三角形の山が見えました。あとで地図を見てわかったのですが、その山には大字霧山、白山神社の石として紹介されている13メートルもの立石があるとのこと。なんじゃこりゃー状態でした。
秋葉山には中腹と山麓の熊野神社にも磐座があり、いわゆる『奥津磐座』『中津磐座』『辺津磐座』の三点セットかなと思ったのですが、白山神社の立石も一枚かんでいるような気がしてなりません。
もうひとつは、道に迷って偶然見つけた、巨大な青石です。はじめは岩盤かなと思ったけど、10m以上ある立石でした。その両側に二軒の農家があり、左の農家の中学生にきいたら何も知らないと言われました。次に右の農家のおばあちゃんに聞いたところ、「嫁に来たころは木の祠があったが朽ち果てた。お伊勢岩という名前だったと思うが、知っている人はすっかり亡くなって、よくはわからない。」ということでした。
あの中学生が大人になるころには、この岩の信仰は完全に忘れ去られるのかなあと思うと、なんだか寂しい気がしました。
新年の挨拶 No: 815 [返信][削除]
投稿者:管理人MURY 05/01/05 Wed 23:26:05
みなさま、新年あけましておめでとうございます。
遅くなりました。今日、実家から帰ってきた管理人です。
> 高坂さん
神社へ行くと石が気にかかるようになった、そう言っていただけると嬉しいです。
これからも丹波の気になる石・岩情報、ご一報いただけたら幸いです。
> 落王さん
いえいえ、こちらこそご無沙汰していて申し訳ありません。
最近はあまり磐座巡りなどできていないとうかがってますが、気が向いたらで良いんではないでしょうか。岩は逃げたりしません、いつでも落王さんを待ってますよ。
> あんでっどさん
あと3ヶ月、色々と自由奔放にやってく予定です。もちろん岩巡りも。心残りなスポットが幾つかあるので。
滋賀県野洲町三上山周辺なんてどうでしょう?三上山の磐座はもちろん、神山さんが言っていた妙光寺山の謎な岩窟とか諸々、甲山のネコ岩、大岩山辺りから三上山がどう見えるかとか、鏡山にあるという石柱群とか、個人的に気になっているところです。いや、全然下調べしていないので詳しい状況は分かりませんが。
> 神山さん
地芳峠の遥拝石、思い出しました。私も野本さんの(本は違いますが)『神々の風景』で存在を知ったんです。
神山さんの話を聞いて、穴あき遥拝石が思っていたよりもありふれた民俗だということに目のウロコが落ちました。穴あき石というジャンルは私にとって完全に視野から外れていたようです。
謹賀新年 No: 814 [返信][削除]
投稿者:神山一夫 05/01/03 Mon 18:15:12
あけましておめでとうございます。ネットのつながる、健康で文化的な最低限度の生活?に戻ったので、さっそく覗いてみました。相変わらず刺激的な濃い内容ですごいですね。
興味深かったのは遥拝石です。私もいくつか穴あき遥拝石を見たことがありますが、かなり近世的なもので、話題の二石のような迫力はありませんでした。地芳峠の穴あき石は、野本寛一さんの著書『石と日本人』に写真がありますが、径1、2m、真ん中の穴は径30cmという大きなものです。shibakinさんの眼鏡石とは少し形状が違うようですが、どちらも大変貴重なものだと思います。
私は磐座に隙間や割れ目のあるものについて、岩そのものよりも、それらが構成する空間の方が祭祀的には重要だと考えています。そこまではともかく、願掛けの奉納に穴あき石を使う民俗や、お賽銭に穴あきの五円玉をわざわざ使うちょっと昔の民俗などを考えあわせると、穴あき遥拝石の持つ意味も結構面白いかも知れませんね。
ご挨拶 No: 813 [返信][削除]
投稿者:あんでっど 05/01/02 Sun 17:23:10
新年、あけましておめでとうございます、MURY様。
何とか年末の最も忙しい時期を越えられましたか?ご苦労様です。
昨年は岩石祭祀学の研究発表に呼んでいただいてありがとうございました。
あの日はいろいろと得る所の多かった一日でした。
また余裕ができたら一緒に聖石を見に行きましょう。
今年もよろしくお願いします。
http://dead.gonna.jp/
謹賀新年 No: 812 [返信][削除]
投稿者:落王 05/01/01 Sat 16:21:23
MURYさん、新年明けましておめでとうございます。
旧年中は色々とお世話になりました。
ゆっくりこちらへお邪魔できずにすみません。
本年もどうぞ宜しくお願いします。
2005年元旦「ゆ~でぃあ」落王
謹賀新年 No: 811 [返信][削除]
投稿者:高坂 05/01/01 Sat 13:21:50
今年も宜しくお願ひします。
神社に行くと何となく石が気にかかるやうになりました(笑)。
http://tanbarakuichi.hp.infoseek.co.jp/shrine/
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