2022年3月13日日曜日

こぶ石と猪俣の七石(埼玉県児玉郡美里町)


埼玉県児玉郡美里町猪俣

こぶ石の今昔

こぶ石は「瘤石」とも書き、拙著『岩石を信仰していた日本人』で一節を設けて報告した。

古墳時代~平安時代の長期間にわたる祭祀遺物が出土し、こぶ石を古墳時代当時から祭祀に用いたと考えられる。

こぶ石が元で名付けられたと思われる字名の「こぶヶ谷戸」を取り、こぶヶ谷戸祭祀遺跡(瘤ヶ谷戸祭祀遺跡)の名で知られている。


こぶ石は、所有者の株式会社横関酒造店の敷地内に現存する。

お店のホームページにおいても、こぶ石が下リンクのとおり紹介されている。

私が訪問した折、所有者の方はとても親切に対応してくださったので、願い出れば見せていただけると思うが、あくまでもよそ様の土地の中であることをご了承願いたい。

会社概要|横関酒造店|美里町

こぶ石(中央の二石。周囲の石囲いは現代の設置)

こぶ石の表面

こぶ石のすぐ近くではバイパス工事がなされていた。

横関酒造店

こぶヶ谷戸祭祀遺跡の出土遺物(美里町遺跡の森館展示品)

同じく展示品より

こぶ石は往時は高さ約2mほどあったといわれるが、現在は地表にわずか露出している状態であり、また、2個の露頭に分かれている。下に埋もれているという可能性もあるが、岩石自体は何らかの経緯で摩耗したのかもしれない。

なお、考古学者の大場磐雄博士がこぶ石の遺跡調査に立ち会った1960年に撮影された写真が、國學院大學博物館により公開されている。この時のこぶ石は1個の露頭であり、この半世紀の間に摩耗が進んだと類推される。

「コブ石」/國學院大學博物館所蔵(クリエイティブ・コモンズ・ライセンス済資料)


こぶヶ谷戸祭祀遺跡は二つの川の合流点に立地するという地理的特徴があったが、バイパス工事と共に護岸工事も行われ景観が変わっている。

かつての合流地点の様子(こぶ石は合流点の東に立地)

猪俣の七石/猪俣の七名石

こぶ石は、猪俣の七石または猪俣の七名石の一つといわれる。

その名のとおり、猪俣地区には7つの名だたる岩石があるということで、こぶ石以外で鏡石・福石・爺石(ぢぢいいし)・姥石・唸石(うなりいし)・櫃石(ひついし)が存在するという。


しかし、どうやら現在では有名とは言い難い状態のようで、こぶ石以外の6つの岩石についてなかなか詳しい情報が出てこない。

インターネット上で詳細な情報を閲覧できるのが、本間久英氏が著した「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」『東京学芸大学紀要』54(2002年)である。下記でオンライン公開されている。

https://u-gakugei.repo.nii.ac.jp/record/21772/files/03716813_54_06.pdf

上記文献より、それぞれの七石の情報を引用する。

  • 瘤石 猪俣瘤ヶ谷にある。地表に出ている部分の長さは2m30㎝である。村人はこれを掘ると祟りがあるというので掘った人はいない。
  • 鏡石 猪俣上平にある。高さ2m、幅1m30㎝、横3mあって、上面が滑らかで鏡に似ているところから名付けられた。
  • 福石 猪俣福石の通称湯脇谷にある。高さ1m30㎝、周囲3m、その形が大黒点に似ているところから名付けて福石という。
  • 爺石 正円寺谷の南にある。高さ1m30㎝、周囲6mで、現在は沢の中に落ち込んで流れに埋まっている。
  • 姥石 猪俣姥石にある。高さ1m余り、周囲は6mばかりである。この付近を姥平と呼んでいる。
  • 唸石 記載なし
  • 櫃石 薬師前大地台にあったが、現在は美里村甘糟の岡寄氏の屋敷内に移った。長さ2m、幅1m程の物である。


上記は児玉郡児玉町町史編纂室(美里町ではない)からの回答とのことだが、それぞれの石は計測数値が載せられていて、1m30㎝が多いのが気になる。元来は尺貫法などでの記録かと思われ、おそらくその頃に各石が調査・記録されたことがあったようだ。

そこで元となる文献を探したところ、埼玉県女子師範学校郷土研究会[編・発行]『埼玉県郷土研究資料』(1931年)に、元となる文が収録されていた。

児玉郡児玉町町史編纂室の回答ではなぜか唸石の記載がなかったが、元文献のこちらには次のとおり記されていた。

  • 唸石 字小栗草原にある。地上に表はれた部分は長さ三尺巾二尺高さ五寸昔唸の音を發したと言はれてゐる。

また、櫃石の位置はこの時は「松久村岡崎正作氏邸内」と記されている。ということは、薬師前大地台→松久村岡崎正作氏邸内→美里村甘糟の岡寄氏の屋敷内という変遷なのだろうか。

櫃石が現在も岡寄家の敷地内にあるのか、爺石が今も沢の中に落ち込んだままなのか、この数十年の土地開発の中で失われた岩石はないのかなど、改めて現在位置の所在確認が必要と感じる。


そして、こぶ石は祟りがあるから掘ってはいけないという禁忌が記されているが、ほぼ同時期にこぶ石は発掘調査を少なくとも2回受けている。

この発掘行為と伝承が相互にどのように影響しあったかは興味深いところである。


韮塚一三郎[編著]『埼玉県伝説集成 : 分類と解説』上・下(北辰図書出版 1974年)にも類似の記述があるが、同書には唸石の写真が掲載されており、猪俣の小平六館址の駒繋石(馬方石)も猪俣七名石の一つに数える説も記されている。また、爺石は今はないという小沢国平氏の話を載せ、引用元にも小沢国平「七つ石など」(『埼玉文化』第111号)という文献を挙げている。

小沢国平氏はこぶヶ谷戸祭祀遺跡の発掘調査報告書の著者でもあり、論文名から想像するに七つ石について詳しく書いてあるのではないか。文献を一度実見したいところである。


なお、先出の大場磐雄博士の写真資料の中には「埼玉県美里村祭祀遺跡調査(昭和35.3月)  遺跡写真」とメモ書きされた写真があり、そこに詳細不明の岩石が1枚写っている。こぶ石とは景観が異なるので、七石のうちのいずれかを撮影したものではないかと思われる。

「巨石」/國學院大學博物館所蔵(クリエイティブ・コモンズ・ライセンス済資料)


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