福島県白河市表郷中寺屋敷
法石山の号は、本堂裏にある殺生石に由来する。
かつて那須野が原で九尾の狐が変じた殺生石を、元中2年(1385年)に源翁禅師が衣鉢を授け、花を手向け焼香し、殺生石の魂に仏法を教化した。
殺生石は成仏するとともに幾片(三つとも)にも砕け散り、全国各地にその石片が飛散した。その石片が飛び散った場所の一つが、この常在院の殺生石といわれる。
常在院は源翁禅師の開基とされ、室町時代に常在院2代目の和尚が製作したという「源翁和尚縁起」「源翁和尚行状記」にこの殺生石伝説が記載されている。
常在院における殺生石は、仏心を得て改心したものであるため、法石稲荷(注)と呼ばれ仏法保護の神に転じている。
殺生石が飛散する前の常在院の山号は「法水山」だったという逸話もあり、殺生石の置かれている場所は山の清水が滴り落ちる場所でもある。
古い写真で見えにくく申し訳ないが、丸い台座のような自然石の上に乗っている石片が殺生石である。
下の石は、ただ台座というだけではないかもしれない。
国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」によると、次のような伝説が残る。
竜女が常在院の源翁和尚に説法を頼み、救われた。お礼に寺の殺生石の下に水を引いた。竜女がその後お産のときに温めて抱いた石も寺にある。
竜女,竜宮姫 | リュウジョ,リュウグウヒメ | 怪異・妖怪伝承データベース
殺生石の下を流れる沢が竜女の信仰をもち、お産で抱いた石が寺にあるということで殺生石の台座の石がそれに該当するかは確認が取れていないが、このように表立って知られていない物語が一つ一つの岩石に込められている(いた)かもしれない。
注
『西白河郡誌』(1915年)によると、法石稲荷社の社殿自体は明治40年の再建とある。
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/925911?page=173(次世代デジタルライブラリーより)
参考文献
- 「源翁和尚行状記」(コピー)
- 「源翁禅師略伝並に常在院由緒」(常在院発行)
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。