宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井
現地説明板によれば、「垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石」とあるが、神社を建てた時に用いた鎮石とはどのような使いかたをしたものか。
場所は離れるが、愛知県名古屋市の物部神社にも神武天皇が国の鎮めとして置いた石があり、これを要石や石神と呼んでいる。
物部神社が建てられたのも奇しくも垂仁天皇代となっているが、礎(石据え)として、巨岩でもない単体の岩石を置くという論理は、神社鎮座の一種の作法としてある程度認知されていたことが窺える。
ならびに、
「鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています」との由来も書かれているが、要石に関する歴史の中では、あまり知られている話ではない。
高千穂神社の由緒書にも他の史跡は細かく書かれているものの鎮石は記載されておらず、第三者が記した歴史記録にもまだ出会えていない。
鹿島神宮側の見解も尋ねてみたいところである。
高千穂神社境内の夫婦杉。賽銭箱の前に二個の岩石が見える。 |
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