宮崎県延岡市大貫町
鳥居龍蔵『上代の日向延岡』(鳥居人類学研究所 1935)において以下のとおり報告されている。
南方村野地に、ガンガン石と称するものがある。(略)天然の露出岩石の上に、数枚の巨石を置いたものである。この石は人が手で揺がすと揺ぐので、ガンガン石といはれ、巨石として祀られて居る。私はこれは巨石遺跡ではなからうかと思ひ、調査に赴いたのであった。このガンガン石は一見自然の岩のやうに見えるが、一巨岩の上に他の巨石を積み重ねて居るからこれは人為になったものと思はれる。これを村人が古くからガンガン石と称するのは、それが揺れて音を発するから斯く云ふのであって、こは上に巨石を人為で置いてある証拠である。さればガンガン石はまさしく巨石遺跡として見るべきものである。(鳥居、1935年、p.165)
鳥居は同書において、延岡市に数多くの巨石遺跡があることを報告しており、現在も残る代表的な事例の一つとして知られる。
興味深いのは、ガンガン石の傍らに小祠があり、その中に高さ3尺4寸(約1m)の地蔵形の石像があり、鳥居はこれを筑紫国造磐井の墓で知られる岩戸山古墳の石人と類似すると指摘した。
鳥居が訪れた時は、ガンガン石の祠の後ろに円墳が存在し、その円墳に付随するものだったのではないかと推測している。
この「石人」は通称「野地の石人」と呼ばれ、現在は愛宕地蔵の名で堂内にまつられている。
ガンガン石が人為的な遺構であるか、人為的としてそれがいつの構築か、野地の石人が真に岩戸山古墳のそれと同形式か、多くのことが置き去りにされたまま存在している。
0 件のコメント:
コメントを投稿
記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。