宮崎県日南市平山
「神武天皇少宮址」と称され、神日本磐余彦が幼い頃に居を構えた場所との由縁が伝わる。
神日本磐余彦が龍神から「龍石(たついし)」という馬を授かり、近くに「立石(たていし)」の地名が残るなど、これらは馬の名にちなむものではあるが当社には岩石の聖跡も残る。
御鉾の窟(みほこのいわや)
「神社ノ後方ニ大岩有リ。天皇後ニ宮崎ノ宮ニ向ヒ玉フ時、此ノ岩ノ下ニ御鉾ヲ納メ玉フト伝フ。旧時御神体トシテ奉祀サレシモノト傳フ。」(神社由緒記)
海岸の岩壁が、海食・風食によって窟状の窪みを発して祭祀の場となった点は、その景観も含めて紀伊熊野の花窟などを彷彿させる。
窪みに龍神の姿が見えるというが…(現地看板) |
石祠の左奥に浮かび上がるのが「龍神の姿」の部分か。 |
他の現地看板によれば「近年ご参拝の方々からこれは陰陽石ではないかとのお声が異口同音に多く寄せられ」とのことで、丸石(銭石)が発見されたのは平成30年10月とあった。陰陽石は現代の岩石信仰と言えるが、岩壁への銭石祭祀は熊野の丸石祭祀と共通性がある。 |
陰陽石と目される部分。丸石の奉納も見られる。 |
御鉾の窟跡の手前に広がる立石群の整備。情報収集不足につき詳細不明。 |
草履石・駒形石
社殿がある境内からやや北の平山川沿いにある。草履石は「神武天皇が少宮に上がる際に足を洗った場所」、駒形石は「龍石の足を洗った場所」という(産経新聞2020年12月2日付記事「ゆかりの地から見る神話の風景 第6部 四皇子誕生と神武天皇②」)。
神社境内の案内板では「天皇のお草履の跡」「龍石の足跡」ともいう。
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