三重県四日市市羽津町
志氐(しで)神社は、境内に北勢地域最大の前方後円墳を有する延喜式内社として知られる。
志氐神社境内古墳 |
古墳説明板 |
志氐神社の一の鳥居は東海道に面しており、鳥居の傍らに東海道を挟んで二体の石がある。
訪問年によって、看板があったりなかったりするので注意。
一の鳥居。写真右奥の塀の前に石がある。 |
2017年撮影 |
2003年撮影。この時は標柱があった。 |
上写真の石から、東海道を挟んだ向かい側(東側)にも石がある。
現地には「妋石」と書かれた看板が立つ。
2013年撮影 |
2017年撮影。新たに看板が立った。 |
現地看板の説明 |
この2体の石に関する最古の記録は、元禄3年(1690年)に刊行された「東海道分間絵図」で、絵図中に「道中にめうと石とて両方に有」と注記されている。
ここでは「めうと石」と読まれており、現地看板の表記とは異なる。
なお、これより後に文化3年(1806年)に完成した『五海道其外分間見取延絵図』では、志氐神社の一の鳥居付近に二体の石が描かれ、道の西側を「妻夫石 雄」、道の東側を「妻夫石 雌」と注記している。
さて、現地看板の写真には「古書」の存在を触れている。
この「古書」とは、記述内容から考えて天保4年(1833年)に刊行された伊勢国の地誌『勢陽五鈴遺響』を指すと思われる。ここではさらに具体的な来歴が記される。
此神社ノ地ハ本郡三重郡ノ界ニシテ鳥居ノ傍ニ二個ノ標石ヲ置テ二郡ノ界トス方俗此二石ヲ指テ夫婦石ト名ク婦女ノ婚ヲ求ルノ祈願ヲ此ニナス必応アリト俗習也(『勢陽五鈴遺響』)
志氐神社は朝明郡と三重郡の境にあり、二個の石を置いたことで境界を示したのだという。そしてこれを夫婦石と呼び、婦女が婚姻を求める時はこの石に祈願すれば必ず霊験があった旨が紹介されている。
さらに、『志氐神社縁記』という文献には「鳥居側有神石。南北厲盤根固而不知其深。自古稱之曰夫婦石。」と、また別の情報が登場する。
『志氐神社縁記』は、作者も制作年代も不詳であり、明治時代よりは古く、江戸時代をさらに遡るかは不明である。ここでは鳥居の側に神石があり、その根は深さ知れず、古くより夫婦石と呼ばれていると記されている。
以上をまとめると、この石は「めうと石」「夫婦石」「妻夫石」「妋(みよと)石」など表記の揺らぎがあったことがわかる。と同時に、文献によって石の性格や語られ方が異なることにも注意したい。
参考文献
- 四日市市編・発行『四日市市史 第6巻 史料編絵図(解説)』1992年
- 安岡親毅著・倉田正邦校訂『三重県郷土資料叢書第25集 勢陽五鈴遺響(1)』三重県郷土資料刊行会 1975年
- 著者・年代不明『志氐神社縁記』(神道大系編纂会編・西川順土校注『神道大系 神社編14 伊賀・伊勢・志摩国』1979年に所収)
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