鹿児島県日置市吹上町中之里
妙見神社社殿の背後に巨石群が控える。 |
社殿側から拝む巨石群の全景。階段と手すりの整備は巨石に手を入れるものであり、必須だったかは悩ましいところ。 |
巨石の群れの内部には岩陰状の空間がみられ、内部に立ち入ることもできる。 |
巨石の頂部の一つ。このように穴が開いた岩石構造をもつものが多い。 |
巨石群から東を眺めれば遠くに水平線(東シナ海)もみえる。 |
「成功」と刻まれた岩肌。おそらく戦前戦後の刻字と思われるものが複数みられる。 |
それらの刻まれた字にあやかって、現在これらの名前が岩石に冠される。 |
一般には「妙見神社の巨石群」の名で知られる。
近年、地元の方々が神社の整備や顕彰を進めており、「落ちない岩」や「努力・祈・成功の岩」と命名された合格祈願にかかわるものや、「男性岩・女性岩・子ども岩」の命名で子宝安産や家庭円満にかかわるものとして、パワースポットとしての色を強めている。
歴史的にはどうだったかという部分で、ここに記録を残しておきたい。
社頭に掲示された「妙見神社由緒書」は文字が消えかかっているが、そこに「石聚神社」の名がみえ、以下のとおり記されている。
石聚(むれ)神社 岩石の群がる石牟礼が此の名称の出所
所在 小牧のミケン(筆者注:判読しにくい)から此処へ移転になったという伝説がある
石牟礼(いしむれ)が地名として残り、それはつまり当地の「石の群れ」から由来したという説である。
「聚」は「衆」であり、石の集まりを社名にしたという点で岩石信仰に端を発する神社とみることに特に異は挟まない。
境内に建つ、享保年間の奉納と思われる「石垣誌」にも「石牟礼妙見大菩薩」の刻字がある。
さらに、柚木英一氏「道で出会った石の神」(『鹿児島民俗』78号、1983年)には、「この神社は吹上町中之里石牟礼に在って、古い社名が、妙見大菩薩石聚神社」とある。
冒頭の由緒書では遷座説もあるようだが、巨石が移設されたとは考えにくいので、神仏分離以前の聖地としての在り方がこの名に伝わり残ると言えるだろう。
本記事では、歴史的に辿ることができて、当地の岩石信仰と神仏の関係をよく表す、妙見大菩薩石聚神社・石牟礼妙見大菩薩の名を優先して表題に掲げておくことにする。
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