鹿児島県鹿児島市玉里町
島津藩主・島津斉興が天保6年(1835年)に築いた玉里邸の庭園。
庭園の庭石の一つに「磯石」と呼ばれる巨石がある。
下写真のとおり、一箇の岩塊を細かく切断して、そのつぎはぎを再び接合したものとなっている。内部に隠れているものも含めて53〜58個の石片に分割されている。
磯石(写真左の岩塊) |
磯石(探訪時は池の水が抜かれていた) |
現地の受付の方から見せていただいた磯石の報告書の図面 |
幅、奥行き約3.5m、高さ約3mの立方体に近い形状で、元々は鹿児島湾の磯海岸の海中にあった自然岩を庭園に運ぶために分割したものだといわれている。
このような方法の岩石運搬は、岡山県岡山市の後楽園で備前池田藩が築庭した「大立石」や、同県倉敷市の旧野﨑家庭園の「陽石」に類例があることを奇岩巨石磐座ニュースさんに教えていただいた。
後楽園の大立石なんか有名です。https://t.co/Ge5I1CIRNw
— 奇岩巨石磐座ニュース (@stonenews) December 19, 2022
なるほど。
— 奇岩巨石磐座ニュース (@stonenews) December 19, 2022
その他の事例だとこのくらいしか知らないです。
旧野崎家住宅https://t.co/E5cfvyovpp
遠方の巨石を求めて自らの庭園に引き入れ、そのために岩肌を毀損することを厭わず、見た目は元通りにならなくてもできるかぎり原形の形状に戻そうとした心の流れが何だったのか興味深い。
磯石の場合は、巨石の頂面に柱穴が確認されている。
そのことから、この柱穴は鳥居や祠を建てた跡ではないかとする説があるが、そうすると磯石は単なる岩礁ではなく聖地をまつった場所の基盤となった岩石だったことになる。
磯石の頂面 |
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