2023年4月9日日曜日

据石ヶ丘遺跡(鹿児島県霧島市)


鹿児島県霧島市溝辺町竹子


据石ヶ丘遺跡は縄文時代の遺跡ということだが、鹿児島県教育委員会編『鹿児島県文化財調査報告書 第11集 別冊』(1964年)によると、据石ヶ岡から縄文時代早期の押型文土器が見つかっているとある。これのことを指すだろうか。

地名としては、据石ヶ丘、据石ヶ岡、据石岡などの表記の揺れがあるが、この丘陵をそう呼ぶ理由が頂上の岩石群にあることはたしかなようだ。石を据えたような高さ1.8mの構造物があり、据石の名にふさわしい。






周辺には小ぶりの岩石が散在しているが、これが環状列石と言えるかというと、いわゆる縄文時代の配石遺構にみられるような石を敷き詰めて並べた様相とは異なり、石と石の間の隙間はかなり粗い。

仮に人工的としても、このような目立つ位置に露出した運搬可能な岩石が、縄文時代から手つかずのまま今に至るとは希望的観測に過ぎるだろう。

さらに、土器は見つかっているが発見位置は不明で、岩石の配置が考古学的に調査された様子でもない(調査時の記録を探している)。

現地看板は「縄文時代以降の古代人が~」と断定的に記すが、土器の発見という事実と、据石が縄文時代の遺構であるかを直結するのは論理が飛躍している。


柚木英一「道で出会った石の神」(『鹿児島民俗』78号、1983年)には「据石岡」と紹介されて、「この巨石も古くから神として崇められた石である」と記されるが、それ以上の具体的な伝説・記録は見当たらない。



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