大阪府箕面市如意谷
「醫王岩 寺の後にあり。自然石あり。高さ十三丈許。又名薬師石ともいふ。(略)此所も大已貴、少彦名の二神生ますの地により。醫王岩と稱するか。此二神は醫道の祖なり。」
大阪府 編『大阪府神社史資料』,大阪府,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1688263 (参照 2023-05-28)
「薬師岩 萱野村大字東坊島の北方字道心ヶ谷にありて、一に醫王岩とも呼ぶ。高さ十二丈にして三層をなし、三巨岩を累積したるが如く、頂上の一岩は特に前方に突出し、其の形薬師の立像に似たるを以て此名あり。里俗は読んで薬師出現の霊石といふ。」
大阪府学務部 編『大阪府史蹟名勝天然記念物』第2冊,清文堂出版,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9572913 (参照 2023-05-28)
医王岩(下から撮影) |
医王岩 上部 |
医王岩が三層構造と呼ばれる所以 |
現地看板。『摂津名所図会』に依拠。 |
高さは12丈~13丈(約35~40m)と記されるが、実際は25mほどだという。
醫王岩(いおうがん)は「医王岩」の旧字体である。
大已貴、少彦名が医道の祖に位置付けられたことに因むというが、他では聞かないネーミングであり、むしろ薬師如来の別称である「大医王仏」の影響を受けているように思われる。
引用文中にある「寺」とは大宮寺を指し、現在も「醫王山大宮寺」の山号で現地で受け継がれている。この寺の本尊が薬師如来である。
「医王岩 護り伝へる 大宮寺 諸人敬う 薬師瑠璃光」 |
大宮寺の縁起でも、開祖が当地の医王岩の屹立する様子に「大医王薬師瑠璃光如来」の尊影を感じとり、寛平4年(892年)堂宇を設けたのが大宮寺の始まりという(大宮寺公式ホームページより)。
また、大宮寺は爲那都比古神社のいわゆる神宮寺だった。
爲那都比古神社は『延喜式』神名帳に二坐(比古・比売)ありとして記載される古社で、二坐のうち一座は大宮寺と同地にあったということで、医王岩は爲那都比古神社の歴史とも絡む自然石信仰となる。
爲那都比古・比売の信仰と、大已貴・少彦名信仰、薬師信仰はそれぞれ別系統と言えるが、医王岩が後者二つの出現地として重なっているのは基本的に同根の発想からくるものだろう。
ただ、大已貴・少彦名が生まれた地という表現は、細かいニュアンスがよくわからない。この地で生まれたという一般表現ととらえるべきか、医王岩という岩石から生まれたという意味なのか、そのあたりは文献記述が簡潔でそれ以上肉付けされていないので不明である。
大宮寺の縁起で薬師如来の「尊影」を感じとったというくだりについては、これは神仏の「みかた(御形・御像)」を岩石の形状から感得したという心の流れと同質かもしれない。
医王山は、はたして神々を産む生命体としての「石神」だったのか、それとも、神威や仏跡としての「みかた」の聖地だったのか。
いわゆる日本列島の古代信仰における、神仏の宿りかたの諸問題を考える上での類例の一つに挙げて良いだろう。
アクセスについて
公式の駐車場がなく、適した路肩スペースもないので注意喚起したい。
医王岩の手前には溜池があり、そこで釣りをしている人がよくいるらしく(釣りは禁止されているらしいが)、池の手前の僅かなスペースに車を寄せている場面を私が探訪した当日も見かけた。しかし、狭い車道沿いでもあるしモラル違反と言わざるを得ない。
大宮寺北の上写真の場所(記念碑が建つ)から、溜池の間の道を通って医王岩へ取りつく。 |
近隣の無関係の施設の駐車場に停めるのも慎まないとならない。
ということで、2023年時点で医王岩の最寄りコインパーキングを紹介しておく。私はこちらを利用した。
このパーキングから医王岩まで徒歩約15分である。
Googleレビュー評価が低いが、私が利用した分には何ら問題なかった。