関根久夫氏「田中正造の墓と遺品の小石―正造が残した3個の小石―」(『ぐるり埼玉・石ものがたり49』pp.284-290, 幹書房, 2014年)で、田中正造と石の関係について知った。
おそらく関係諸氏の中ではすでに有名な話で、私が知るのが遅すぎたくらいで恥じ入るばかりである。
正造には小石を拾う趣味があり、足尾銅山鉱毒事件に一生を捧げた彼にとって、唯一とも言える趣味だったらしい。
その中でも特に3つの小石は、正造が亡くなる時に枕元に置いていた布袋に入っていた。
これらは現在、栃木県指定文化財として保存されている。
栃木県指定文化財/田中正造遺品・9点|佐野市正造の小石を主人公に置いた絵本も発刊されており、小石は現代でも更なる物語を紡いでいる。
【書籍紹介】『わたしは石のかけら もうひとつの田中正造物語』東京新聞2018年2月18日付記事によると、正造から石をもらった人も複数おり、家宝として大切にしている所もあると書かれている。
ここまでくると、正造への敬仰の象徴としての岩石物語と言える。
「小石」から見た正造 絵本に興味深いのが、正造が自身の日記で小石拾いの理由について記した事実である。
没年である大正2年1月9日の日記に次のとおりある(関根氏前掲書より)。
「思ふニ、予正造が道路に小石を拾ふハ、美なる小石の人ニ蹴られ、車ニ砕かるゝを忍びざれバなり。海浜に小石の美なるを拾ふハ、まさつ自然の成功をたのしみてなり。人の心凡此くの如シ。我亦人と同じ。只人ハ見て拾わず、我ハ之を拾ふのみ。衆人の中ニハ見もせずして踏蹴けて行くもの多し。」
この文のさらに続く部分が、雨宮義人氏「田中正造翁の拾った庶民の心の美」にある(『日本』22(9)(260),日本学協会,1972-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11397114)。
「今の眼中、人民も同胞も兄弟もないものが、如何にして泥土に塗れた小石を顧みやうか。これ不善者の常である。汝の身心、玉でなくして、玉を愛してはなるまい。まして碌々たる石塊の中に玉があると思へない程度では、どうしようもあるまい。漠然、天下を見る状態では、砂利泥土しか映つて来まい」
岩石と人間の精神的関係において、当事者が理由を明記した貴重な記録の一例と言える。
正造の場合は自身の信条が先にあって、その行動実践の一つに小石拾いを据えていたことがわかる。
凡そ人が石に美や憐憫を感じることはあれど、実際に行動に移すことは少ない。その逆を行って、石を救って石の中に玉を期待することで、自身の信条も玉でありつづけようとする美学に基づいている。
正造の3つの石のうち、1個は渡良瀬産の桜石と考えられており、石肌に桜の花びら状の模様が付く、いわゆる名石の範疇である。
残る2個の石は不整形で他の何物にもたとえにくい、前掲関根氏の言葉を借りれば「どこにでもあるような小石」であり、正造はそこに価値を認めようとした。
その結果、正造が最初は理屈だったのが小石に接するうちに理屈を越えた感情でこれら小石に接せられたのか、日々、石の玉ならざるところと玉でありつづけようとする理屈のぶつかり合いだったのか、正造の書きかたではどちらの可能性もある。
興味深い
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