岐阜県大垣市赤坂町
「赤坂の虚空蔵尊」などの名で親しまれる明星輪寺は、金生山(かなぶやま/きんしょうざん)の山塊をなす石灰岩の奇岩怪石に彩られる。
金生山(写真右:蔵王権現堂) |
岩巣公園内の一岩 |
岩巣公園という現代名称で総括されるが、実際にはそれぞれの岩石にそれ以前からの名前がつけられている。
情報源によって錯綜しているところもあるが、現在わかっている範囲でまとめる。
堂内内陣の岩屋/大蛇の絞め跡
明星輪寺の本尊にかかわる伝説に基づく。
虚空蔵菩薩が若き修業の身の折、伊勢の娘に恋い慕われて大蛇に身を変じて菩薩を追いかけてきた。菩薩はほうほうのていで赤坂山の岩屋に逃げ込んだといい、その伝説地がこの岩屋である。
本堂の奥壁に岩肌が突き出ているが、岩屋全体は堂の中に収まる形態らしい。
本堂内陣の岩屋 |
大蛇の絞め跡 |
本堂の奥壁を斜面上方から撮影。岩屋は堂内に収まっていると判断できる。 |
権現岩/観音岩
岩巣公園の中では、本堂の横に接して最初に見える岩である。
写真右上の岩肌に、円形に光背をくりぬいて観音像が刻される。 |
岩肌には観音像が彫られて現地には「観音岩」の標柱も建つが、ご住職にお話を伺ったところによると彫刻されたのはおよそ100年前の頃だろうとのことで、もともとは「権現岩」と呼ばれていた。
たしかに金生山の昔の絵図を見ても、観音岩の名前は見当たらない。
絵図は時代別に複数あり、本記事の以降の岩石でも用いるため整理しておく。
A.金生山明星輪寺境内之図(金生山化石研究会 1981年に所収)※以下、絵図A
山内の岩石群を描いたものとしてはもっとも古い鳥観図で、明治時代製作の銅版画とされている。
B.絵図Aを元に後世加筆修正した絵図(寺院パンフレットに所収)※以下、絵図B
絵の構図、描写のほとんどが絵図Aを模したものだが、たとえば絵図Aでは役行者堂・御供所と記された建物が絵図Bではそれぞれ蔵王堂・愛宕社と題され書き直されている。また、地蔵堂の場所が移動して建て直されている。これらの点から、絵図Aを元にして時代の変化に合わせて再度作成されたものと思われる。
後述するように、複数の岩石において絵図Aと絵図Bで名前が書き直されており、岩石の名前も変遷したことが読み取れる。
C.現地に掲示されている「金生山境内図」以下、絵図C
地蔵堂横の庫裡の壁面に掲示された絵図で、これも絵図A・絵図Bの構図を模したもの。昭和時代の製作と思われる。
岩石の配置を図化したものとしてはもっとも新しいもので、大垣市が岩巣公園を名勝指定した流れで建てたもの。看板としては平成時代の製作と思われる。
絵図D |
権現岩の場合、絵図A・B・Cには「権現岩」と記され、絵図Dでようやく「権現岩(観音岩)」と丸括弧付けで観音岩の名前が登場する。
また、絵図Cでは岩肌に観音の彫刻が描かれるが、絵図A・Bでは彫刻の描写はない。このあたりからも、この岩石における権現→観音の位置づけの変化も見えてくるだろう。
なお、上記4絵図は山内の岩石の配置を正確に描いたものではなく、訪れた私の実感では、むしろ現地の位置関係とかなり異なる。絵図の配置を信じすぎると逆に現地で迷うだろう。参詣時はそのあたり注意されたい。
くぐり岩/廊下岩
絵図Aでは「廊下岩」と記された場所が、絵図Bでは「星巖岩」(後述)と記され、地図Cでは「くぐり岩」「星巌岩」と2つの岩の名前が並列して記される。
この名称の混在はどうしたことか。少なくとも、現地ではくぐり岩と星巖岩とは別々に標柱が建てられているので別物と言える。
廊下岩という名称とくぐり岩という名称は、それぞれ通路上の道を通るという点で共通するため、くぐり岩と廊下岩は同一物を指すのではないかと推測する。
くぐり岩(出口側/裏側から撮影) |
ゴトゴト岩
絵図A~Dすべてに登場して、位置関係も変わらない。現地に標柱もあるが、同サイズの無数の石灰岩がごろごろしており、どれを指すのか特定が難しい。ゴトゴトの名の由来も情報収集不足である。
ごとごと岩の標柱。写真から外れた奥にも岩石の分布は続く。 |
見晴岩
明星輪寺の庫裡で無償配布している『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)に、「見晴岩」の名と共に写真が掲載されており位置が特定できる、
名のとおり山頂から麓が一望できる場所に広がる露岩群を指すが、絵図にはいずれも記載がないため近年の命名と思われる。
見晴岩 |
亀岩
見晴岩の北に接して存在。岩肌に「亀岩 反対側から見てください」と看板がつるされており、反対から見ると甲羅状のこんもりとした岩石から亀の頭のように突き出ており、この姿形を亀とみたものである。
中日新聞の記事「『かめ岩』濃尾平野見渡す 大垣の金生山頂上、縁起物を見に観光客増
」(2022年7月9日付)によれば、ご住職が樹木伐採時に新たに発見・命名されたものと報道されている。
亀岩(写真左) |
天狗岩
「赤坂山の虚空蔵さん(明星輪寺)の境内にある岩巣公園の一番高いところにある天狗岩の上で、毎年正月元旦の朝早やく、まだ初日の出にならない前、真っくら闇みの中で一番鶏が鳴くという。それが金の鶏で、その鳴き声を聞いた人は、『その年一年間は縁起がよい』とされ、その金鶏の姿を見たら、それこそその人は一生涯幸運に恵まれる」(金生山化石研究会 1981年)
岩巣公園の奇岩群のなかでは珍しく伝説が付帯するのが天狗岩である。
全国各地に類例のある金鶏伝説の一事例であるが、この天狗岩についてはなぜか絵図A~Dに一切図化されていない。
岩巣公園の一番高いところにある岩というのがヒントで、『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)には写真と共に掲載があるが、岩の近景のため岩巣公園のどこに位置するものかがわからず特定できない。
屏風岩
絵図A~Dに一貫して登場。現地に標柱あり。
屏風岩 |
不動岩
不動明王像が彫刻された岩で現地に標柱も立つが、標柱が地面上ではなく不動岩とは別の岩石の上に置かれているため、なかなか見つけにくい。
不動明王の彫刻も、ある一定の方角からでないと拝みにくく、それが岩と岩の狭間を通る途中で横を向いて上の方に視線を向けると見つかる。
目印としては、咜枳尼天の堂を向かって右から堂裏に入った岩と岩の狭間から左上方の岩を仰ぐと見える。健闘を祈る。
観音岩と同様、約100年前の彫刻とうかがったので、それが絵図Aにはない理由と考えられる。
行者岩/行場岩?
絵図Aには、不動岩の場所に「行者岩」という名が記されている。
では、不動岩の旧称は行者岩かというと、『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)では不動岩と行者岩が別々で写真掲載されているため、どうやら別物らしい。
同書掲載の写真を見ると、どうやら石灰岩の浸食風景が形成した岩陰空間の中をそう呼んだらしく、不動岩一帯の岩陰空間(下写真など)をそう呼んだ可能性もある。
行場岩の名は他文献には載っておらず、名前の類似性から行者岩との混同も視野にいれたいところである。
星巖岩
現地にはひらがなで「せいがん岩」と書かれた標柱が立ち、現地でも比較的見つけやすい。
先述したとおり、絵図によっては廊下岩・くぐり岩と同じ場所のように図化されているものもあり情報が混線している。
星巖岩 |
加持水岩
咜枳尼天の堂入口の路傍にある。
自然の手水鉢のような形状をなし、水を湛える。
現地には「かじすい岩」の標柱が立ち、絵図Aでは「弘法大師加持水岩」とあるので弘法大師伝説が付帯した岩石とわかる。
加持水岩 |
愛宕社横の石祠
愛宕社の祠の向かって左に、石灰岩を寄せ集めてかまくら状の祠にした構造物がある。
内部に狐の置物や稲荷鳥居を供えていることから稲荷社と思われるが、絵図には一切登場せず標柱もないため正式な名前があるのかは不明である。
愛宕社横の石祠 |
そのほか、名前が伝わる岩石
『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)では、そのほかに「百足岩」という名の岩石が存在することを記すが、写真の掲載はなく他文献にも見られない名のため詳細位置は不明である。
以上のように金生山の岩石群は、時代の経過によって岩石の名前や歴史がたやすく変容し、現代人が自然石と人の歴史を後から辿る難しさを如実に教えてくれる好事例と言える。
全国各地の事例においても、現代定説化している岩石の名前がいかに危うい信頼の上に立っているかということさえ感じさせてくれる。
参考文献
- 金生山化石研究会 編『金生山 : その文化と自然』,大垣市教育委員会,1981.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9670955 (参照 2023-10-08)
- 篠田通弘ほか[編・撮影]『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』金生山自然文化苑保存会 2020年
- 寺院発行パンフレット
- 「『かめ岩』濃尾平野見渡す 大垣の金生山頂上、縁起物を見に観光客増」(中日新聞Web 2022年7月9日配信記事)https://www.chunichi.co.jp/article/504433(2023年10月8日閲覧)
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