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2023年10月3日火曜日

南宮大社の岩石信仰(岐阜県不破郡垂井町)


岐阜県不破郡垂井町宮代

 

『延喜式』神名帳に「仲山金山彦神社」と記された美濃国一宮・南宮大社では、現在、境内に次の岩石信仰の事例を確認できるが、その仔細には不明点が多い。

以下、現時点でわかっている内容をまとめておく。


引常明神磐境石



現地標柱によれば「昔の古神札に焼灰がこの下に埋められてある」という。

ではその上にある磐境石は、焼灰よりも新しく置かれたということになるのか。直下に埋めたのか、岩石の手前に埋めたのかで意味合いは異なるが、石壇の上に岩塊が置かれた様子から後代の設置はじゅうぶん想定される。

引常明神の名は『美濃国神名帳』(10世紀中ごろに成立。現在残るものは後世の改変が指摘されている)にみられるが、引常明神の正確な場所は後世にわからなくなっており、南宮大社の現地に引常明神をまつったかはあくまでも後世の比定によるものである。

磐境石についての歴史的記録は、管見のかぎりではまだ見つけられていない。


石船社



金敷金床社の背後に併祀されている岩石を石船社と呼んでいる。

南宮大社の由緒板によると「古よりこの地に座す船形石で金床に似ている事からお祀りしています」という。

この社も『美濃国神名帳』掲載の「石船明神」に比定されているが、手前に鎮まる金敷金床社も含めて江戸時代後期にはすでに一度廃社となっていたため(『新撰美濃志』)、現在の風景は近代の復興によるものである。原位置を忠実に伝えていると言えるかは不明である。


南宮大社の駐車場横にある岩石

タイトルのとおり、駐車場の横に注連縄を巻かれて、基壇の上に置かれた岩塊がある。



この岩石を知って約20年になるが、立地的にも目に入る存在ながら、ひとまずインターネット上では何の仔細も見つからない。

(情報募集中です)


子安神社の王子石、斎館の子宝石、鉱石奉納

引常明神磐境石、石船社、駐車場の岩石、いずれもまだ情報収集不足であるが、文献記録でたどれるものがない。

一方で、南宮大社の岩石信仰として複数の文献で認められたのが、南宮山頂上近くに鎮座する子安神社の王子石である。

子泰社 南宮神社裏山山上に子泰社あり、社前に黒丸石・白丸石が置かれている。王子石とも呼び、参詣者がこれを廻して男子の出生を祈る。又よき子宝を得、産が軽いと云う。いま、南宮斉館前に子宝石がある。これに祈願して手を触れると良い子が授かり安産によいと云われている。(『垂井町史 通史編』)

私は南宮山に登っていないので現在もそのような2つの丸石があるのか確認していないが、文献に記された岩石と現在存在する岩石には記録の差がみられる。


南宮斉館の子宝石についても追えていないが、現在ある南宮大社の斎館の向かい側には南宮大社の入口が面する。

駐車場の岩石を子宝石の候補とするには場所はやや離れているが、このように古く記録されていて現在は所在が明示されていない岩石と、現在存在する由来不明の岩石を追究していく必要がある場所である。


なお、2002年に私が参拝した時は、南宮大社南門の垣内で「さざれ石」と共に多数の鉱石が奉納されている風景を目にしたが、2023年に再訪した際には「さざれ石」を残すのみで、その背後にあった鉱石の奉納は姿を消している。

おそらく別場所に遷されただけと思われるが、このことからも岩石信仰の景観は数十年単位で場所も所在も記録も移ろうという儚さを体現している。

2002年撮影。鉱山・金属の神、南宮大社に相応しい光景と思ったが…

同所を2023年に撮影。さざれ石の後ろの垣に鉱石群が展示されていたが今はない。

参考文献

  • 岡田啓 著『新撰美濃志』,神谷道一,1900. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993950 (参照 2023-10-03)
  • 垂井町史編さん委員会 編『垂井町史』通史編,垂井町,1969. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9537022 (参照 2023-10-03)

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