注意点
本ページは、ロビン・ダンバー[著]・小田哲[訳]・長谷川眞理子[解説]『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(白揚舎 2023年)を読みながら記録したメモである。
1.個人的メモのため、読ませるように文章を整理できていない。
2.岩石信仰と関連する部分で今後有用と思われる情報を中心にピックアップしたため、必ずしも本書の要点をまとめたものとはなっていない。
ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)
人類学者、進化心理学の研究者。オックスフォード大学名誉教授。
人間が集団を安定的に形成できる規模は平均150人とした「ダンバー数」の提唱者で知られる。
ダンバーの研究姿勢
文化ごとに、目に映る世界の姿は異なる。だから、別の文化をながめるとき、私たちはただの観光客で、旅の雑感を述べる以上のことはできないという考えもあるだろう。
しかし、このような独我論ではそれ以上の議論を放棄しているし、人類が積み重ねてきた多くの宗教体験に対して、トライアンドエラーを重ねながら修正してきた科学がアプローチできる余地が見過ごされている。
宗教・宗教心の定義は、大きくとらえたい。定義は頭の中にしか存在せず、理解したいのは現実世界の現象にあるからだ。定義のどこかの部分が当てはまれば、漠然な対象なのであるからそれでよしとする。
それを踏まえて、宗教の最小限の定義は「霊もしくは力が存在する超自然的世界に対する信仰」とする。この定義によって、必ずしも神を置かない宗教も含められる。
そして、信仰心は一人でも持てるが、宗教は2人以上が同じ信仰を信じること。そこに社会性が生まれる。
一神教でもアニミズムは生きている。アニミズムが先にあり、そのうえで教義宗教が層のように重なった。
(例)ウィッシング・ウェル(コインを投げ込むと願いが叶うとされる井戸への信仰)
家族や友人が死に接した時、死者がどこかで生きていて、いつかまた会えると思えれば慰めや希望になり、それが霊魂や祖霊や霊的世界の信念につながる。
宗教の起源をトランス状態に求める
宗教の土台は、トランス状態のときに抱く感情にある。
知性で考える理論ではなく、生身で反応する感情から最初期の宗教心は発生した。
トランス状態になるために行う体験を神秘体験と呼ぶ。
このような神秘体験を求める神秘志向には3つの特徴がある。
1.トランス状態に容易に入れる感受性
2.人智を超えた世界の存在を信じていること
3.隠れた力が味方になるという信念
トランスとは「自発的かそうでないかにかかわらず、常軌を逸した心理状態に陥ること」を指す。
覚醒しているが外部刺激に反応せず、通常の感覚はゼロまたは限りなく弱い。身体は激しく動く場合と微動だにしない場合もあり一定しない。
トランスの原形とも言えるのが狩猟採集民族(カラハリ砂漠のサン人ほか)がおこなう舞踊や音楽だが、それ以外にも瞑想や身体的に負担の大きい姿勢や断食、苦痛、暑熱などの儀式もあり、トランスへの入口は多様である。
トランスによって得られる感覚は、暗い穴またはトンネルに入るような感覚というのがどの部族社会でも同じという。また、強烈な光が伴うことも共通の現象である。
ひとたびトンネルを抜けて霊界へ入れば、通常は自由に動き回れる。ただし霊界には、現世に帰還させないようにする悪い霊がいて、帰り口が見つからない可能性がある。トランスに伴う激しい行為で人が死ぬこともあり、その場合は霊界から戻ってこれなくなったと解釈される。
霊界の出口に無事案内してくれるのはだいたいの場合、善良な祖先という。
このようにしてトランス世界から帰還すると、気分爽快、愉快、心が甘くなるなどの穏やかな感情で満たされる。
トランスがどの程度一般的な体験なのかは議論があるが、共通の神経作用で起こるのだから普遍的な現象にはちがいない。
シャーマンの3つの役割
1.生活の不確実性(予言、治療、狩猟採集の成功)
2.通過儀礼および社会的現象(出産、死、結婚、戦争、紛争解決、雨乞い)
3.共同体運営(法的、政治的問題)
このうち、2018年のManvir Singhの実験では、生活の不確実性に対して儀式を行うシャーマンが80%以上を占めることがわかった。
予言が的中するかどうかより、切迫した事態を乗り切る心構えを持たせることの方が重要なのかもしれない。
シャーマンによる効果は、プラセボ効果だったり、用いた薬物や植物に実際に薬効があったりするかもしれない。しかしそもそも相互関係を見つけ出すのは人間の得意技で、効果があるかどうかに科学的な理由を説明する必要はなかった。
宗教が必要とされた因果関係
多くのパターン、要素が想定されるが、最も可能性が高い因果関係を提示。
1.まずは外的脅威が存在
↓
2.それに対して集団の必要性が出る。
↓
3.外的脅威が大きければ大きいほど、集団規模が大きくなる必要があるが、結束しにくくなるので、ここで宗教が求められる。
宗教に変わる何かも想定されうるが、現代において宗教に替わる価値観で人々を連帯させ続けている仕組みがうまくいっているわけではなく、今も世界各地で宗教という枠組みが利用されている。
社会脳仮説
人類がもつ脳は、集団規模が大きくなるにつれて複雑化する集団対応のために社会脳と呼ばれる脳の進化を促した。
特に、知恵を巡らせるときに用いる新皮質は、哺乳類全体では脳の容積に占める割合は10-40%に対して、ヒトは80%に達する。
脳の大きさによって、その種が形成できる集団規模が決まるというのが社会脳仮説。
そして、サル、類人猿が築く集団規模と新皮質の大きさから人間本来が形成できる集団規模が数値的に推測でき、それはおおむね150人となる。
この150という数値は、人間が築いた様々な共同体・組織を研究対象とした20以上の研究でも、おおよそ一個人が維持し続けられる社会集団が100-200人の間に収まると裏づけられた。つまり平均して150人となる。
動物のグルーミングの代わりに、人間は宗教に置きかえた
サルや類人猿は、1日の約5分の1をグルーミング(相手の毛づくろい)に費やす。
社会的グルーミングの真の価値は、皮膚に指がゆっくりと触れる時の感覚にある。このときにC触覚繊維と呼ばれる求心性神経が反応し、この神経は脳に直結しており脳の奥深くでエンドルフィンの分泌を促す効果がある。
エンドルフィンは脳内で働く鎮痛剤で、化学構造がアヘンによく似ていて、気持ちを落ち着かせて幸福感をもたらし、痛みを和らげる。そして副次的効果として、体内に侵入する病原体やがん細胞を発見して破壊するNK細胞を増殖させ、グルーミングしてくれる相手への帰属意識と信頼感も強める。
このグルーミングの弱点は、同時に二つの個体へ行うことが現実的に難しいので、集団規模が広がる人類の場合は、グルーミングに頼らずエンドルフィン分泌につながる行為を模索することになった。
そうして獲得していった順が、笑うこと、踊ること、物語で感情を動かすこと、宴を開くこと、宗教儀式となる。これらは遠隔的グルーミングと言え、集団規模が増えて直接面識がない相手にも社会的やり取りが出来て結束できる手段となった。
宗教、恋愛、美、カルト
宗教的感情と恋愛感情は驚くほど似ている。神に恋するという例が複数見られる。
両者に共通するのは、現実の相手に恋するのではなく、頭の中で理想化した偶像に恋をしているという点。そして、相手との関係に没入するあまり、批判的思考が低下する。そこに、騙し騙されのカルトの構造が生まれる余地がある。
人間に備わるメンタライジング能力
メンタライジング能力とは、自分の世界だけではなく、相手には別の世界があり心があると想像できる能力のこと。
このメンタライジング能力が高い人ほど、宗教心を抱きやすいという傾向が認められる。
一次 「私が思う。」…宗教にならない段階
二次 「あなたがこう思っていると、私は理解する。」…宗教にならない段階
三次 「あなたは神が存在すると考えていると、私は理解する」…宗教的事実の認定
四次 三次+「神が私たちを罰するだろうと私は思う」…個人宗教
五次 三次+「あなたが考えていると私は思う」…共有宗教
従属節を持つ言葉が複雑化していく中で、宗教という抽象概念が理解されていく。
神秘を抱く感覚の科学的根拠
トランス状態に入った仏僧の脳をスキャン装置で調べたところ、左頭頂葉後部(空間的な自己認識に関する領域)の活動が落ちて、眼窩前頭皮質の活動が顕著に高まった。空間認識が遮断されることで視床下部に信号が送られて恍惚とした解放感が押し寄せ、これをゴッド・スポット(神の領域)と呼ぶ。
そして、視床下部は脳内にエンドルフィンを分泌する領域の一つで、眼窩前頭皮質にもエンドルフィン受容体がぎっしり詰まっている。
ほかに、宗教的な体験(声が聞こえる、神秘体験、異言)をしやすい特徴として、特定の神経ネットワークが関わっていることが指摘されている。ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質系の活動など。
儀式の起源
儀式の起源は、動物の遊び行動にある。
遊び行動には、同じ行動の繰り返しが伴う場合があり、これが儀式的な性格を帯びる。遊びによって笑顔が起こり、エンドルフィン分泌が引き起こされる。
エンドルフィンは脳内鎮痛剤なので、痛みを誘発すると分泌される。しかし痛み以上に出やすいのが、踊りなどのリズミカルな運動であり、持続的で弱い痛みにエンドルフィン系は反応する。
最も古い儀式は、人間を気まぐれに懲らしめる神々をなだめる目的から始まった。
先史時代の宗教事例
約40万年前のスペイン北部のアタプエルカの洞窟群にシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の穴)と呼ばれる場所がある。
深さ13mの穴の底から28体分の骨が見つかった。
暗い洞窟で知覚がゆがみ、トランス状態に入りやすい感情と言える。
洞窟の効果として、声を発すると音が良く響きあい、ハミングや合唱によってハーモニーが生まれる条件が備わっていた。洞窟を住居とするネアンデルタール人が音楽を編み出したかもしれない。
音楽によって、エンドルフィンは更に分泌されたことだろう。
第一段階の宗教とは
脳が大きくなって高度なメンタライジングができるようになったことで、自分の世界とは別の世界があるのではないかと疑問を抱くようになったところから発生した。
道徳規範・行動規範などの教義が定まっていない、没入型の宗教。35-50人のバンドで生活し、100-200人の共同体を結束させるために求められた宗教。
神というより、自然の特徴と結びついた霊的存在や、トランス状態を経由して入れる霊界は信じていた可能性がある。
宗教の順番
世界各地の33の現存する狩猟採集社会を対象に、それらの宗教的特徴を統計的に分析した研究によると、宗教的特徴は6つに大別される。
1.アニミズム信仰
2.シャーマニズム
3.祖先崇拝
4.死後世界への信仰
5.特定の居場所を持つ地域神への信仰
6.人間の営みに介入する、高みから道徳を説く神
このうち、発生順序として最も古いのはアニミズムだった。
死後世界への信仰は決して普遍的ではなく、アニミズムより後に2,4,5とともにまとまって出現した。
6の高き神は、狩猟採集社会においては信じられていなかった。
この研究から、原初の宗教はアニミズムであり、その後に、他の宗教の形が互いに関連しあって同時期にまとまって現れたと考えられる。
宗教が、自分と別の相手へ自身が得た神秘体験や感覚を意思疎通しなければ成立しないことを考えると、アニミズムの原初宗教は言語の出現以降と考えられる。
社会集団にはストレスを伴う
外的脅威から身を護るために集団が求められたが、集団生活にはストレスが伴う。
サン人の「星の病」は、集団を支配する力で、嫉妬、怒り、いさかいを産み、贈答の効果をなくすという。女性はストレスによって月経が乱れて不妊となりやすくなる。この病による結束の乱れを防ぐため、サン人はトランス・ダンスを踊って立て直すのだという。
集団が大きくなると不妊の原因が生まれるのは哺乳類全体が抱える問題と言える。
精神的症状と宗教
臨床および神経生物学的な事例分析により、統合失調症と宗教体験は脳内で同じ認知プロセスが関わっているというサイモン・デインの研究がある。
統合失調症患者の最大70%が幻聴、幻視、宗教的妄想を経験する。他に、陰謀論を唱えたり、自分は執拗に迫害を受けていると考える傾向にある。
統合失調症、双極性障害の躁状態、激しい動きを伴う宗教的行動は、いずれも脳の同じ領域が過活動を起こしている。それらはDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)を司る部分で、DMNを強く刺激すると恍惚感が生まれる。
なお、これらの症状は人によって有無をはっきり区別できる性質のものではなく、私たち全員が属しているものと理解したい。
こうしてトランス状態に入りやすい、神秘体験を起こしやすい人はシャーマンやカリスマ指導者となる。見た目や挙動が奇妙で狂人扱いされる場合もあるが、それでも彼らのことを信じる人がいる。その理由は
1.その他大勢に埋没しない。
2.突出した存在を頼みにしたい。
このような人々の存在により、一度自然発生的に生まれて発展した社会集団も、人が持つ150人までという社会脳の制約を受けて、統制が崩れ、ストレスが生まれ、組織を崩していく。だから、現在の世界宗教が複数ありながらもそれに安住できず、人類は新しい宗教へ分裂していく。
長谷川眞理子氏(自然人類学者・進化生物学者)の解説
長谷川氏自身は、集団が同じ儀式や行動を行うという宗教の働きについて、その同調性を個人的信条として嫌っている。未知の現象に対して宗教的な説明されることも受け付けず占いも信じない。
ダンバーは150人というダンバー数を提示して、150人以上の数が集まって住むようになったことで宗教による結束が必要と考えた。
ダンバー自身は宗教に対してどういう信条・態度なのかは表明していないが、人類の大部分がなぜ宗教を信仰して必要としたのかを、生物の進化から分析するという点で理解できる。