山形県山形市山寺
山寺立石寺は、慈覚大師円仁が開山・入定した地で、おくのほそ道の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の場でも知られる。
立石寺には「立石倉印」の字が刻まれた古代印が伝わり、型式的にも開山を伝える9世紀頃の製作の可能性が高いものとされており、その頃からすでに「立石」の名で呼ばれていたことが窺える。
慈覚大師が入定したとされる窟は、百丈岩という自然の巨岩に開いた風穴の一つである。山口博之氏は「百丈岩に入定する慈覚大師の強力な視線が、街道を往来する人々にそそがれ守護する風景となる」(山口 2021年)と考察して、山寺における立石群の宗教性を街道交通と関連付けた。
立石寺における岩石の利用は、各時代を通して死者供養と深い関連が指摘されている(時枝 2011年)。
開山当時の入定窟からは木棺や火葬骨が複数体見つかり、いわゆる修行窟というだけでなく一種の墓地としての性格も色濃い霊場だったと考えられている。
その後、中世においても岩石群が形成する岩陰や洞穴の中で納骨および五輪塔の奉納行為が確認されている。
近世には、岩肌に塔婆を刻んで死者を追悼する岩塔婆とよばれるものもみられるようになり、この祭祀行為は県内でも山形盆地(村山盆地)周辺に分布が固まることから、山岳寺院の中でも地域的に独自の変化・形成を遂げた霊場だったと評価づけられている。
また、元山寺として立石寺の前身とされる峯の裏地区では、垂水岩などの奇岩において13世紀頃の石造物群が確認されている。
調査を主目的として訪れていなかったため、岩石の記録は不完全である。
参考文献
- 時枝務『山岳考古学―山岳遺跡研究の動向と課題―』ニューサイエンス社 2011年
- 山口博之『山寺立石寺―霊場の歴史と信仰―』吉川弘文館 2021年
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