石川県羽咋市寺家町 大穴持像石神社境内
長さ約60㎝、高さ約30㎝の岩石で、地震石、地震押さえ石、要石などの名称が伝わる。
いかに大震災があっても、この岩石があるためにこの地は微動だにしないといわれて、かつては石上に生す苔を取って地震除けの守護とする者が多かったという。
前田藩は地震石を神体とみなし、木棚を以て囲繞したが一夜の内に消え失せ、再度作るも元通りに戻ったという。
明治4年、金沢在住の木佐平次という者が地震石は迷信と述べて石を蹂躙したが、宿に帰り入浴した後に茶を喫していると頓死したという。
明治7年、気多神社神職の荒地春樹が地震石は神体であるから社殿内に安置するべしと主張したが、村民の同意を得られずそのまま今に至るという。
大穴持像石神社の境内入口に位置することから、社名の「像石」はこの石のことだとする説もあるが確定していない。
大穴持像石神社の社殿 |
参考文献
- 編集: 羽咋市史編さん委員会『羽咋市史』中世・社寺編,羽咋市,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536989 (参照 2024-01-02)
- 石川県羽咋郡 編『石川県羽咋郡誌』,羽咋郡,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/986465 (参照 2024-01-02)
2024.1.22追記
令和6年能登半島地震を受けて地震石の祭祀が行われた。
「地震石に収束の祈り 羽咋・大穴持像石神社」(北陸中日新聞Web) https://www.chunichi.co.jp/article/841447
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