webメディア「Less is More. 」で吉川のインタビュー記事が掲載されました。
失われし岩石・巨石信仰。畏れと期待、その世界観とは。吉川宗明氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation
文献には残らないほど古い時代から、日本のあらゆる場所で、岩や石を祀る文化があったそうだ。今の宗教とは異なる、不思議な世界観を持つ「岩石信仰」の研究をしている吉川宗明氏にお話をお聞きした。
「Less is More. 」(より少ないことは、より豊かなこと)では、グローバル化・デジタル化する世界で失われる/失いたくないモノや概念などを取り上げており、文・理などの分野を問わず有識者にインタビューした記事をnote上に掲載しています。
失われる/失いたくないモノの一つとして巨石・磐座信仰(私が言うところの岩石信仰)に白羽の矢が立ち、依頼が来た次第です。
見出しは大きく4構成です。
- 岩石信仰に出会うまで。
- 岩石信仰はいつはじまったのか?
- どのような世界観で岩石信仰がなされていたのか。
- なぜ岩石信仰は失われてしまったのか。
PV数的には巨石や磐座を押し出したほうが良いのでしょうが、記事タイトルにも「岩石」を入れていただけるなど、柔軟に対応していただけました。
ということで、いつもどおり「地味」なパッケージでお送りしますが、ご覧いただき皆様の拡散をご協力いただけましたら幸いです。
吉川が岩石を語るときに怖いと思うこと
インタビューでは、このブログに書かなかった部分、吉川個人の部分に珍しくスポットが当たりました。自分を出しすぎたかもと感じます。
石の話でよく聞かれるのが、岩石信仰の魅力についてです。
これを聞かれるのが、嫌というより、恐いんです。
それを知りたいがために研究しているところがあり、研究途上の人間がそれを言葉にすることで、自分の言葉で規定されたくないというのもあります。死ぬ間際に言いたいです。
もう一つの怖さがあります。
私が岩石を信仰しているわけではないので、信仰の当時者ではない人が岩石の魅力を主観であれこれ語ることは危険で、だからブレーキをかけています。
石に惹かれる自分はいますが、自分の感性を信用していないということです。
あまり言う場面がありませんでしたが、私自身の岩石信仰に対する考えについて触れておきます。
私自身の日常の生活観は、共同体主義がなじむ人間というよりは個人主義に属する人間です。現代人という自覚もあります。
岩石信仰を研究しているからといって、岩石信仰に憧れたり、信仰に付随するあれこれをすべて肯定的・好意的に受け止めたりしているわけではありません。
そういう意味で、信仰されている方から見ると冷ややかにうつると思うのですが、逆で、自分にないものだからこそ敬意をもって臨まないと、永久に理解できないだろうという自戒でこれまで岩石と岩石に関わる人々に接してきたつもりです。
そして、自分にはない価値観だからこそそれを知りたいという動機に加えて、信仰とは異なるが岩石を見て言語化できない自分の感情を自覚もしているので、その自分の感覚を言語化したいという動機でも研究を続けています。
ということで、岩石信仰の魅力は何ですかと問われれば何も答えられないのですが、個人的経験の範囲で語れることが一つだけあります。
それは、思い起こせば、私は岩石の実物を見て惹かれたクチではなくて、まずは本に載っている岩石の写真で惹かれたということです。
つまり、インタビューで答えたように岩石に近づいてその磁気を無意識に脳が感じとったのではなく、岩石の視覚画像のみを以て自分の脳が反応したと言えます。
写真で縮尺もよくわからない岩石も多かったので、岩石の巨大さに圧倒されたようでもありません。
岩石の外形、岩肌が持つ色などの二次元的視覚情報だけが放つ岩石特有の魅力がある、そこにも岩石信仰を考えるヒントはないかと考えています。
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