2024年4月21日日曜日

「神定の磐境」と呼ばれた岩石群(奈良県宇陀市)


奈良県宇陀市榛原高井字神定 伊豆神社

 

伊豆神社(高井)

高井鎮座の伊豆神社の地名を神定(かんじょう)といい、伊豆神社の裏山、北西の2か所に「磐境」と名付けられた岩石群が報告されている。

ただし、この「磐境」呼称は明治時代~戦前のいわゆる神籠石論争を経由して生まれた近代用語としての磐境であることに注意が必要である。

それ以前から呼ばれていた名称はないらしいので、本記事でも「磐境」で仮称しておく。

裏山の「磐境」

社殿後方なるは短径三四間、長径十余間の楕円形に、ストーンサークルとして並べられている。中央部にあった数個の石は心なき人によって搬出せられ、其の所在の痕跡をのみ存している。山の中腹を匐ひて廻らされてゐた外廊の環状の一部も近年まで存在してゐたが、漸次破壊せらるるに至ったのは遺憾とする所である。(皇祖聖蹟莵田高城顕彰会 1939年)

以上の記述であるため、現在みられる岩石の状態は原風景でないということになる。

伊豆神社の境内からそのまま裏山に登るのは難しいため、裏山の東を走る伊勢本街道から取りつくことにした。

街道から細い踏み跡が裏山に続いており、その踏み跡沿いにいくつかの岩石の群れを確認することができる。

伊豆神社裏山にみられる岩石群。現時点で環状かというと疑問符がつく。

腰より下の岩石のため草葉に半ば埋もれている。


北西の「磐境」

矢谷川に臨む突端の磐境も環状の半は残されてゐたが、最近その下方に、弘法大師石像を祀られるに際し基壇として上方より磐境の石を転落して之に用ひられ爲にいたく損傷せらるるに至った。然るに近時学童が残れる一部の巨石の底部から打製サヌカイト石斧三個及び三十数個のサヌカイト破片の一所に埋蔵せられてあったのを掘出した事実がある(皇祖聖蹟莵田高城顕彰会 1939年)

伊豆神社の北西側の尾根突端はたしかに矢谷川に接しているが、弘法大師像の場所も含めて現地ではよくわからなかった。

伊豆神社と境内を同じくする眞楽寺に弘法大師石像は見当たらず。

伊豆神社・眞楽寺境内にはこのように岩石が寄せられているがその沿革は不明。

岩石の下からサヌカイトの石斧とサヌカイト片がひと固まりに出土したという話は興味深いが、石器と剥片をもって祭祀の磐境と直結することはできず、生活の跡としての岩石の用途を越えるものとはなっていない。


参考文献

  • 皇祖聖蹟莵田高城顕彰会 編『神武天皇建国聖地内牧考』,皇祖聖蹟莵田高城顕彰会,昭和14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1023590 (参照 2024-04-01)

0 件のコメント:

コメントを投稿

記事にコメントができます。または、本サイトのお問い合わせフォームからもメッセージを送信できます。