先日、骨董市で1個の岩石を買いました。
幅15㎝、高さ10㎝ほどで、底部に「名倉」の銘があります。
お店の方に来歴を訪ねると、かつてこの石を所有していた方の名だそうで、お亡くなりになった後にご遺族が処分したうちの1つとのこと。
いわゆる水石と呼ばれる鑑賞石の一つで、底部は直線的に切られていること(底切り石)から、かつては専用の木製の台座を製作してその上に置いて鑑賞していたものと思われます。
お店の方いわく、買取の際にはすでに木製台座はまとめて破却されてしまっていたらしく、惜しいことです。
名倉銘をもつ複数の石がコンテナに入れられていて、感情に来た1個を引き取りました。名倉コレクションを全部引き取る財力はなくバラバラにしてしまった業を感じつつ。
さて、台座がなくなったこの石を、どのように置こうか。
私に台座製作の技術はないので、他の方法で、できることなら正しい方法で安置してみることにしました。
ただし立派な床の間があるわけではないので、あくまでも自分の作業机の上という限られたスペースです。
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佐藤観石著『伝統的水石文化』(2017年) |
私の水石知識の典拠は、手元にあったこの本。
同書によれば、水石の飾りかたには台座石飾りと水盤石飾りの2種に大別されるとのこと。
名倉さんの石には台座がない以上、水盤飾りがふさわしいということで、岩石信仰研究を始めて20年以上たったいまさら、鑑賞石のイロハをスタートしました。
水石・盆石の専門の方からみれば噴飯ものの内容も含むでしょうが、現代において初心者がイチからデスク上で石を楽しむという観点で意味があると思い、記録にまとめてみます。
砂を探す
水盤飾りの場合は、砂を水盤に敷いてその上に石を置くのが作法らしい。
水石に敷く砂は、現在は薄茶色系統の細かい砂が主流のようですが、古くは白砂を敷いていた時代もあるとのことで、個人的な直感から石には白砂を合わせることにしました。
どれくらいの砂が必要なのかわからず、とりあえず1kg(上写真は500g)を購入。
水盤を探す
次は、砂を敷く水盤。
調べてみると、地元四日市で万古焼製の水盤を作っていたらしい。
妻が華道を習っていたことがあるため聞いてみたところ、水盤を求めに万古焼の窯元に予約して行ったこともあるとのこと。
せっかく飾るなら地元の水盤で揃えたいと思い、いくつかのお店を巡りました。
が、昔と比べて店舗数の減少は否めないことに気づかれます。
アンテナショップとしての役割がある「ばんこの里会館」を筆頭に、卸問屋や知人から紹介を受けた窯元まで訪ねます。
鉢はあるのですが、水盤は(ゼロではないが)ほとんど見当たらない。
「水盤って、あの水盤ですか?」「昔は作っていたんですがねえ…」
白系の長方形のものを唯一見つけましたが、嵩が高くて色も黒や紺・灰系が今の石に合うかと思い、もう少し探すことにしました。
結果的に地場万古焼には貢献できず、インターネットで水盤を検索して、お手頃な陶製のものを注文。
さっそく砂を敷いてみると、
二皿で使用した砂は500gでした。
ヘラと刷毛を使ってできるだけ平らにならすことが重要ですが、白砂を敷いて気づいたのは、砂粒が大きいと平らにすることがいかに難しいということ。
おそらく水盤・水石のサイズに対して、この白砂は粒が大きすぎたと感じます。
でも、最初からうまくいくことはないので、このままいってみます。
卓を探す
どうやら床の上に直に水盤を置くだけではだめらしい。
床の上に卓を置き、その卓の上に台座石または水盤石を飾るという作法を知りました。
そもそも卓(たく)と読まず卓(しょく)と読むことも知りませんでした。
机卓なら家具屋さんの領域なのでしょうが、このような伝統的な卓が量販店にあるとは思えず…。
四日市市内では昔ながらの家具屋がほぼ絶滅していますが、妻の地元の家具屋にならあるかも?とのこと。
店員さんがあれこれと専門のカタログを出してくれました。華道の道具としての「花台(かだい)」と呼んだほうが通りは良いようです。
いろいろあるものですね――。
マイデスクに置けるスペースは計測済みで、幅50㎝、奥行き20㎝までの範囲内が望ましいので、その条件で絞り込んで平卓(ひらじょく)と呼ばれるシンプルな卓を買いました。
花台が売れることももう多くはない時代ということで、店員さんが店舗の奥で眠ったままの品をいくつか持ってきてくれました。
その中で凄まじかったのが下写真の根卓(ねじょく)。
他の花台と比べても現品限りの破格の安さだったため、こちらも引き取りました。
この根卓の上に水盤を置いても溢れてしまうので、こちらはすでに所有していた別の鑑賞石を合わせることにしました。
6年前、私が京都のミネラルショーで初めて買った石です。
私は岩石信仰の場を観察する人としていつづけてきましたが、石を所有する人の気持ちが知りたいと思って足を運んだ展示会で出会った石でした。
来歴不明石ですが、しっかり台座が設えられていて、いろいろなモチーフを見立てることのできる抽象性の高い石だと感じています。
今まではこの石だけをデスクに安置しつづけてきましたが、さて…。
水盤石を飾る
これで飾りに必要な道具はそろいました。
平卓を置き、その上に水盤、砂、水石という順で置いていきます。
砂の上に水石を置いた後は、石底が砂の中にやや埋もれるように、水石の頂を手で押し付けながら、石周りの砂をヘラでならしつつ隙間を埋めていくように整えます。
こうみると、白砂が真っ白すぎることや、粒が大きすぎるなどの砂の「強さ」が課題として浮かび上がるかもしれません。でも、白砂なりの清浄感や鑑賞石との対比感も良いように思います。
水石には形・色・質の三要素があるといいます。
名倉さんの石をこの三要素にあてはめるなら、形は山水景情石のなかの山形石に属するものとして選定されたと思われます。
主峰をメインに置きつつ、周囲に連山が囲む形でもあり、オーバーハングした岩崖様の部分や深い渓谷を見せるかのような、1個の石で峻厳な山の様相を包括しているあたりが良いと感じたのが手に取ったきっかけでもあります。
色についてはどうでしょうか。山形石においては真黒~蒼黒の色が最も好まれるといいます。本石においては黒系統ではありますが真黒とは言えず、石肌がまだらに灰色を帯びます。この灰のまだらを汚れとみなすか侘び寂びとみなすかはおそらく受け取りの分かれるところだと思います。どちらもあると思いました。
質(石の質感)の評価としては、水盤石飾りにおいては水持ちの長い石が良いとされているそうです。
なぜなら、水盤石においては上から水をかけて石を濡らし、その濡れた石肌の様から乾くまでの石質の移り変わりを眺める鑑賞方法があるからです。
そこで、その水盤石飾りを存分に味わうため、石を水で濡らしてみることにしました。
とはいえ、屋内でどう濡らしたものかということで、色々見てみると水石愛好者の方々も霧吹きスプレーなどで簡便に楽しんでいらっしゃるようなので、私もそうすることにしました。
水は水道水をそのまま使うと塩素の影響があるということです。煮沸して塩素を抜くのが正道ですが、簡易にドラッグストアで売っている蒸留水で代用しました。
霧吹きでかけた直後。あえてまんべんなくは濡らさず、下の方には無理に当てていません。
水盤から水がこぼれないように吹きかけますが、石の角などに当たるとどうしても思わぬ方向に飛びます。手を添えて周囲が濡れすぎないようにしました。
約10分経過した状態。この石は、頂面が乾くのが速すぎる(約1分しか持たない)のが課題ですが、山々の間の峡谷部分に水が流れ込み、水が溜まる部分では1時間たっても乾きません。
上部から見ると三角形状に石が広がっており各々に異なる表情を見せますが、言語化しにくいものの、名倉さんが正面に据えたのはおそらくこの形だろうと思うのです。
水石には養石といって、石に水を打って天日干しを繰り返したり磨いたりするなどして、石肌を黒光りさせる時代感(年月の経過)を表すなどの考えかたもあるようです。
名倉さんがどこまでこの石に手を入れていたかは知る由もありませんが、私個人としては、すでにこの石は名倉さんによって養石されていて、その名倉さんという一個人の岩石に対する心理をそのまま読みとれればと思う立場なので、特にこれ以上の養石はおこなわないつもりです。
台座石を飾る
名倉さんの水盤石飾りは以上となりますが、ついでに台座石のほうの飾りつけも紹介します。
左は前述の京都ミネラルショーで引き取った、私にとっての最初の水石。
右は旅行先でたまたまくじ引きゲットしたフローライト(蛍石)。これは水石ではなく鉱石ですが、こちらの置き場所も定まっていなかったため居場所を用意しました。その意味でも二か所の机を持つこの根卓はうってつけでした。
しかし、ご覧いただいて感じる方もいるかもしれませんが、根卓のインパクトが強すぎて、肝心の石の存在感が負けているようにも見受けます。
手のひらサイズの水石飾りには、華美加飾の卓よりも石を引き立たせるように一歩引いた卓が良いのかもしれません。
デスク周りの飾りはひとまずこのようになりました。
この前にノートPCを置いて今このブログを書いています。QOLが上がったような心持ちになるのは、疑いなく鑑賞石の効能でしょう。
上を見れば石・砂・水盤・卓の価格は天井知らずですが、このあたりであれば数千~1万円台で一式をそろえることができました。
これはという一石と出会うことができたら、このような形で鑑賞石を始めてみるのもいかがでしょうか。
鑑賞石を文化財保存と照らし合わせる
本来、私は岩石を取り巻く活動において傍観者でありたいと思って、石をただ見続けるだけにとどめて石を集めることは(京都ミネラルショーまで)しませんでした。
それは、いわゆる磐座・巨石と俗称されるような岩石信仰の場が自然石であっても不動の遺構・文化財であり、誰かにとっての聖地だったから当然です。また、考古学を学ぶ中でその実物が原位置に存在しつづけることを歴史として次代に伝えていく重要性を教えられたことも大きいでしょう。
それに対して、鑑賞石は同じく自然石とはいえど、自然のままそこにあり続けるのではなく、自然石の形・色・質を邸内に移動するという行動様式です。
養石をおこなえばさらに自然石の自然のままとしての位置づけは薄まりますし、卓・水盤などの床の間飾りからわかるとおり中近世の華道・茶道・盆栽などの社会背景の中である程度フォーマット化されたものですが、石を邸内に移して持ち主の感性をもってその人の「自然」観がより色濃く岩石に投影されるという点では、同じく自然石に魅入られた人間研究と言えます。
私は岩石を通して人の精神・心理を感受したい趣向の人間なので、鑑賞石へのさらなる勉強と理解が必要と感じるこの頃です。
以上の経緯から、私個人の信念では探石(石を産地に拾いに行くこと)を通して石を集めることはしませんが、探石・養石を経て石を鑑賞する人々の思いは歴史として記録・継承されなければならないと思います。
水石ブームは昭和戦後期に俄かに起こり、その反動として現代では数々の水石の流出・破却が起こっている様子です。名倉さんの石コレクションの骨董市での販売はそのほんの一角でした。
一つ一つの石をその持ち主の歴史と考えた時、現代起こっていることは自然石文化財の消滅と同義と言えます。
その意味で、今後は持ち主の失われた/失われようとしている鑑賞石を見かけたときは、自らが引き取っていくことも選択肢に入れることにしました。ここ数年の石集めはすべてそうした思いに基づいてしているものだと、今言葉にして整理できたような気がします。
水石、そして今回全く触れられなかった盆石について語らなければならないことはまだまだ浮かびますが、鑑賞石から岩石信仰を含めた自然石文化を考える余地は大いに広がっていると言えます。
まずは鑑賞石の手始めはここまでとして、次は石を増やす方向ではなく、地元で水石・盆石を嗜む先達の方々にお会いできる機会を模索しようと思います。
地元四日市の隣町、桑名には水石の名産地といわれる員弁川が流れ、その関連の施設や団体が活動されているそうです。教えを乞うことができれば、鑑賞石文化という一つの社会の中での岩石の在りかたを探究できると考えています。