奈良県奈良市都祁白石町 字神子尻
都祁には國津神社が二社ある。北部の白石地区の國津神社と、南部の南之庄地区の國津神社であり、本項では地区名を採って便宜的に白石國津神社と記す。
白石國津神社 |
白石明神は地より生えた白い石が神体であるので、白石と改めたという。又古記には南殿の國津神社を移して祀ったから白石と云うとあるが果して南殿すなわち南之庄より奉還したか否か定ではない。古老の話では、南殿より六人衆が石を持って帰った処、急に動かなくなって、それを神体としたともいう。(大西眞治『白石國津神社の由来―宮座の研究・白石の歴史―』2010年再発刊)
前掲の文献によれば、白石國津神社は地より生えた白い石を神体とするという説と、南之庄國津神社から石を運んでここにまつった説に分かれており決着はついていないらしい。
なお、南之庄國津神社の裏山には「柏峯」と呼ばれる小丘があり、小川光三氏が類推するには山容が梯形にならされて方形に岩石を囲んだような形跡がみられるとして、祭壇遺構説も呈されたいわくつきの地である(小川 1984年)。
さて、白石國津神社境内に目を移すと境内中程の参道脇に白い石が2個ほど置かれ、周りを垣で囲んだ場所がある。
いかにも白石の名に相応しい雰囲気を見せるが、神体石は「社殿の下」と明記する文献もあり齟齬がある(『大和の伝説』1959年)。
はたして正確なところはどこにあるのか、白石國津神社と祭礼時に神幸のある雄神神社前に代々在住の東山さんから次のお話を伺うことができた。
- 白石國津神社の名の由来となった白石は、現・本殿の下にたしかにある。
- 本殿を建てた人と宮司しか見られない存在で、神遷しの際も本殿周りには白い幕を張り、岩石を見ることはできない。
- 本殿には床がない状態で白石が覆われているという。
- 境内参道脇にある2個の岩石は、由来となった白石ではまったくない。自分(東山さん)が子どもの頃にはあのような岩石はなく、だれかがどこかから持ってきてあそこに置いた。昔は垣もなかったのに、多分地区の誰かによるものだと思うが今のように整えられてしまった。
本殿遠景。この中に白石がまつられる。 |
本来の神体石が目に見えない一方で境内参道脇の白石が視覚的に目立つため、後世に勘違いの原因にならないかと東山さんは深い懸念を示されていた。
前掲の小川氏著書においても、「国津社の鳥居をくぐると、参道の中央に二本の杉が立ち、その間に小さな白い石が一個置かれている」(小川 1984年)という記述がみられ、1個の岩石の写真が掲載されている。「二本の杉」の間という点から位置的に同一のものを指すと思われ、約40年前には1個の岩石だったのが2024年時点では2個に増えて垣に囲われた流れが描き出せる。
東山さんが子どもの頃はおそらくそれより半世紀以上前の話であろうから、記憶のとおりであれば元々そこになかった岩石を小川氏は取り上げたことになる。このように、岩石信仰の現状の景観からあれこれを想像することの危うさを示す出来事と言えるだろう。
以上、白石國津神社の歴史に関わる重要な情報としてここに記しておく。
参考文献
- 大西眞治『白石國津神社の由来―宮座の研究・白石の歴史―』私家版 2010年(原著1982年の再発刊)
- 小川光三 著『大和路散歩ベスト8』,新潮社,1984.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9575464 (参照 2024-06-09)
- 高田十郎 等編『大和の伝説』,大和史蹟研究会,1959. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9580621 (参照 2024-06-09)
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