2024年8月31日土曜日

菜畑峠・仏庫裡・小鷹山の岩石信仰(愛知県北設楽郡設楽町)


段戸208号線(左)から支線への分岐(右)。

支線を約40分歩くと仏庫裡(小鷹山・菜畑峠)北登山口に到る。かつて小鷹神社奥宮の参道だったとされる。

おかま石(候補)

字イワクラの地に残る岩石群

尾根上に「そばだつ」特徴をもつ。

イワクラの地には、愛知県林業公社による作業小屋が残る。

作業小屋の南に広がる巨岩(写真奥)と石積み(写真手前)。この山域では最も大きい。

巨岩の背後より撮影。

小鷹山の山頂直下に存在する立岩。小鷹神社参道沿いにあり由縁あるものと類推される。

立岩を横から撮影。

小鷹神社奥宮。隣接して小鷹城址の標柱も建つ。

山頂尾根で確認できる露岩の一つ。

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年8月26日月曜日

お船石/お舟石(愛知県北設楽郡設楽町)

名倉カントリークラブ敷地内に所在。

見学時は事前に許可を願い出てください。

ゴルフ場との境界線。岩石の一部が見える。

お船石

岩陰部分

手間と奥に横並びする。

2個のお船石を上方より撮影。斜面下には舟石川が流れる。

鳥居の沓石が残る。


詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年8月20日火曜日

「員弁川石の館」令和6年度水石展 全国の石(2024年夏合同展)

いなべまちかど博物館の一つ「員弁川石の館」(三重県いなべ市)が、いなべ市役所敷地内のシビックコア棟で出張展示していると知って見学しました。

同市内の「木工館コンドウ」との合同展という形をとっているので、水石とともに木工作品がコラボレーション展示されています。

会期は2024年8月16日~9月1日、見学時間9:30~16:00です。

私の訪問時は館長らしき方が在廊されていましたが、他の来場者の方と取り込み中で詳しいお話はできませんでした。


展示コンセプトは「今回の展示は40年にわたり全国の石友から頂きました、愛蔵石32石を、順次展示しようと計画致しました」とのこと(チラシから引用)。

個人所蔵の岩石は、世代交代の時にどのように途絶えず継承していくかが課題です。今後もコレクションが保存継承されていくことを願っています。

本場・員弁川石。

地元のみならず、全国の名石をバランスよく展示。

山水景情石はわかりやすく壮大・重量の象徴で水石の王道だが…

一見しての巨石・奇石だけが水石ではない。自然石の抽象性も包括するのが水石の魅力。

八海山石(新潟)。水が掛かっており水溜まりと乾きを形成。やはり右奥配置。

安倍川石(静岡)。壺のような佇まいだが内部まで穴があいた奇石。

水石は台座の設えも大きな見所。石の底面の浮きに合わせた細工。

展示品中最大の立石。剣山形とも姿石形とも形容できる。

尊像の見立てが濃厚だがそれさえも自由な受け止めでいいはず。

小品飾りの手本も選出。

鑑賞石を言葉で表すのも野暮(力不足)なのでこのあたりで。

2024年8月18日日曜日

池田清隆氏遺作『山中暦日無し』紹介


『磐座百選』(出窓社 2018年)などの著者で知られる池田清隆氏が2024年5月に逝去されました。

岩石崇拝(岩石信仰)を深く追究されてきた先達です。深い喪失感の中ですが、縁あって最後の道標となる遺作『山中暦日無し』(私家版)をご恵贈いただきました。

『山中暦日無し』は、氏が近年綴られていたブログ「庭に磐座をつくる」を活字化したものです(全78頁)。

ブログはかねてより定期的に読んでいましたが、これまでの例をふりかえればインターネットの文章はいつかは消えるもの。このように、書籍という形で氏の文章が後世に残ることに安堵しています。


再度、本になった文章を読み直しました。不思議なものですが、web上の横書きと紙媒体の縦書きでは読んでいる時の受け止め方が変わり、個人的には本のほうがより一層深く響きました。

これは、私自身のテーマの変化もあるかもしれません。今年から特に、庭園における石のありようや、水石・盆石などの鑑賞石文化も勉強していかないとならないと、遅まきながら感じているところです。

『磐座百選』『磐座への旅』を書き終えた池田氏の最後の仕事は、自邸に設えた庭、そしてそこに置いた岩石(磐座・炉石・関守石・石造物)にたいする思いをしたためたものでした。

他者が信仰した磐座・岩石ではなく、氏自身が当事者としてつくりあげた磐座・岩石を言語化するというところに、ひとりの人間の岩石への信仰告白が記録化された無二の業績だと思います。


氏の文章は常に真摯にそして赤裸々であり、本書においてもたとえば、巨石を手にしたときになるべく大きく見せたい「スケベ心」と葛藤する様子や、自らを「器量もゆとり」もなく「分相応」と認めて身に余るものは所有しないという姿勢、健康寿命の区切りを自覚して「増やす」ことをやめて一部を然るべきところへ寄贈した引き際の哲学などが語られています。

庭内に長年をかけて石据えした「磐座」はさすがに寄贈できないでしょうから、この後もこの場所にあるのだと思いますが、本書で現役時の写真と庭園の見取り図もしっかり図化されて、後世追跡可能な記録として残りました。

一個人が思いを込めた岩石事例として、あるがままで存在しつづけることを願うばかりです。


本書でもっとも興味深く目に止まった箇所は、氏が初めてこの種の岩石に出会ったエピソード部分です。

氏の故郷である愛媛県大洲市の金山出石寺。小学生の林間学校で寺境内に存する「護摩岩」を見かけた時に「子供心にも強く印象にのこった」とのこと。まさに氏にとっての最初の岩石への特別視の発露でした。

氏は当時をふりかえって言語化を試み、岩石の割れ目が要因ではないかということ、割れ目に「なにか」が潜んでこちらを見ているのではないかという感覚、恐さを帯びた「異界体験」であることなどの言葉を残しました。

氏が『古事記』の岩屋信仰に注目したり、「気這い」の感覚を重要視したことなど、この原初のエピソードに通ずるのだと納得するところがありました。

一般化できるかどうかはさておき、ひとりの人間の岩石との心理的関係を描いた貴重な記述と言えます。

時機到来し、金山出石寺の護摩岩を実見することがあれば、この記述を念頭に置いて対峙してみたいものだと楽しみが一つ増えました。


氏と直接お会いすることはかないませんでしたが、メール上で幾度かやりとりをさせていただく関係でした。

2022年に拙論(『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか)を発表したおり、研究史で氏の『古事記と岩石崇拝』を紹介しました。研究ですのでどうしても批判的な部分を含むこととなり、気に障らなかったはずがありません。それでも、岩石に失礼のないようにという思いだけで書き上げたものであり、氏の文を読んだ後学の一人として岩石に対する思いは同じところを目指していると受け止めてくれていたなら、と思います。


池田さんから最後にいただいたメールには「吉川さんは私の『希望の星』そのもの」であり、「岩石信仰という分野を『学問』として確立してほしい」と思いを託されました。

本書における、深い文化的素養に裏打ちされた氏の八ヶ岳生活を知った今では、とても希望の星などという過分な評価には応えられそうにありませんが、遅まきながら私も岩石に対峙する当事者として、向き合い方をあらためていこうという入口に入ったように自覚しています。

氏が残された数々の文章に、これからの私自身の学びの足掛かりが多く潜んでいるものと感じます。これからも折を見て読み返し、学び続けていくことになるでしょう。

これまで受けたご学恩に深く感謝申し上げるとともに心より哀悼の意を表します


紹介:池田清隆氏の『磐座への旅』出版記念講演会の公開動画


2024年8月12日月曜日

名倉石神/大マラ地蔵(愛知県北設楽郡設楽町)


上地図の位置は旧地。

現在は奥三河郷土館旧館に保管されている。現・郷土館には展示されていないので注意。

全体。3個体から構成される。

陽石 断面

陰石 核石

陰石 核石を外した状態

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年8月4日日曜日

宇連の岩クラ(愛知県北設楽郡設楽町)



個人宅 敷地内に所在。
無断立入せず、必ず事前に手順を踏んで、地権者の方へ許可を願い出てください。

山の神。大場磐雄博士が「石神」と呼び、名倉村による文化財発見届では「宇連部落の磐座」と記されたものに当たる。

中心石

岩陰部分

山の神のすぐ西には沢が流れる(現在は護岸舗装済)

ショウゴ様。南無阿弥陀仏の字が刻まれる。

ショウゴ様と石仏を擁する自然岩塊。

烏帽子岩(段々畑の下から撮影)

烏帽子岩(段々畑の上から撮影)

敷地内には他にも多数の露岩が見られる。

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年8月2日金曜日

スダラ淵沿いにある露岩と石祠(愛知県北設楽郡設楽町)


大名倉バス停跡が取りつきの目印。

岩上に2基の石祠が残る。上写真は南側の石祠。

北側の石祠。

露岩と淵。

対岸(西岸の東海自然歩道)から見た露岩全景。頂部に南側の石祠が見える。

スダラ淵(西岸から撮影)

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年