『磐座百選』(出窓社 2018年)などの著者で知られる池田清隆氏が2024年5月に逝去されました。
岩石崇拝(岩石信仰)を深く追究されてきた先達です。深い喪失感の中ですが、縁あって最後の道標となる遺作『山中暦日無し』(私家版)をご恵贈いただきました。
『山中暦日無し』は、氏が近年綴られていたブログ「庭に磐座をつくる」を活字化したものです(全78頁)。
ブログはかねてより定期的に読んでいましたが、これまでの例をふりかえればインターネットの文章はいつかは消えるもの。このように、書籍という形で氏の文章が後世に残ることに安堵しています。
再度、本になった文章を読み直しました。不思議なものですが、web上の横書きと紙媒体の縦書きでは読んでいる時の受け止め方が変わり、個人的には本のほうがより一層深く響きました。
これは、私自身のテーマの変化もあるかもしれません。今年から特に、庭園における石のありようや、水石・盆石などの鑑賞石文化も勉強していかないとならないと、遅まきながら感じているところです。
『磐座百選』『磐座への旅』を書き終えた池田氏の最後の仕事は、自邸に設えた庭、そしてそこに置いた岩石(磐座・炉石・関守石・石造物)にたいする思いをしたためたものでした。
他者が信仰した磐座・岩石ではなく、氏自身が当事者としてつくりあげた磐座・岩石を言語化するというところに、ひとりの人間の岩石への信仰告白が記録化された無二の業績だと思います。
氏の文章は常に真摯にそして赤裸々であり、本書においてもたとえば、巨石を手にしたときになるべく大きく見せたい「スケベ心」と葛藤する様子や、自らを「器量もゆとり」もなく「分相応」と認めて身に余るものは所有しないという姿勢、健康寿命の区切りを自覚して「増やす」ことをやめて一部を然るべきところへ寄贈した引き際の哲学などが語られています。
庭内に長年をかけて石据えした「磐座」はさすがに寄贈できないでしょうから、この後もこの場所にあるのだと思いますが、本書で現役時の写真と庭園の見取り図もしっかり図化されて、後世追跡可能な記録として残りました。
一個人が思いを込めた岩石事例として、あるがままで存在しつづけることを願うばかりです。
本書でもっとも興味深く目に止まった箇所は、氏が初めてこの種の岩石に出会ったエピソード部分です。
氏の故郷である愛媛県大洲市の金山出石寺。小学生の林間学校で寺境内に存する「護摩岩」を見かけた時に「子供心にも強く印象にのこった」とのこと。まさに氏にとっての最初の岩石への特別視の発露でした。
氏は当時をふりかえって言語化を試み、岩石の割れ目が要因ではないかということ、割れ目に「なにか」が潜んでこちらを見ているのではないかという感覚、恐さを帯びた「異界体験」であることなどの言葉を残しました。
氏が『古事記』の岩屋信仰に注目したり、「気這い」の感覚を重要視したことなど、この原初のエピソードに通ずるのだと納得するところがありました。
一般化できるかどうかはさておき、ひとりの人間の岩石との心理的関係を描いた貴重な記述と言えます。
時機到来し、金山出石寺の護摩岩を実見することがあれば、この記述を念頭に置いて対峙してみたいものだと楽しみが一つ増えました。
氏と直接お会いすることはかないませんでしたが、メール上で幾度かやりとりをさせていただく関係でした。
2022年に拙論(『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか)を発表したおり、研究史で氏の『古事記と岩石崇拝』を紹介しました。研究ですのでどうしても批判的な部分を含むこととなり、気に障らなかったはずがありません。それでも、岩石に失礼のないようにという思いだけで書き上げたものであり、氏の文を読んだ後学の一人として岩石に対する思いは同じところを目指していると受け止めてくれていたなら、と思います。
池田さんから最後にいただいたメールには「吉川さんは私の『希望の星』そのもの」であり、「岩石信仰という分野を『学問』として確立してほしい」と思いを託されました。
本書における、深い文化的素養に裏打ちされた氏の八ヶ岳生活を知った今では、とても希望の星などという過分な評価には応えられそうにありませんが、遅まきながら私も岩石に対峙する当事者として、向き合い方をあらためていこうという入口に入ったように自覚しています。
氏が残された数々の文章に、これからの私自身の学びの足掛かりが多く潜んでいるものと感じます。これからも折を見て読み返し、学び続けていくことになるでしょう。
これまで受けたご学恩に深く感謝申し上げるとともに心より哀悼の意を表します
紹介:池田清隆氏の『磐座への旅』出版記念講演会の公開動画
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