茨城県鹿嶋市宮中
鹿島社例傳記にいふ
奥の院奥ノ石御座有。是俗カナメ石ト云。號山宮。大明神降給シ時、此石ニ御座侍
との初傳は注意すべきもので、蓋し要石の本体を物語るものとすべきであらう。なほこれに関聯して更に附言すべきは、現在同宮御本殿の眞裏約十間餘を隔て、外玉垣に接して存する「鏡石」についてである。石は地上高約一尺餘、圓形を呈し表面径二尺四寸を有する圓盤状のもので、別に玉垣を以て囲み神聖視せられてゐる。由来に就いては不明であるが、その表面が平滑で圓形を呈し、鏡に似てゐる點からかく稱したものと推定せられる。殊に面白いのは今の本殿に接した直後には、神木と稱する一巨木が聳立して居り、それと一直線上の後方に鏡石が存在することで、恐らくは最初要石と同様、本宮の原始信仰を物語る磐座及び神籬を如實に示すものではあるまいかと推定せられるのである。
大場磐雄「磐座・磐境等の考古学的考察」『考古学雑誌』32-8 1942年
要石 |
鹿島神宮本殿裏。写真の「一巨木」の延長線上に鏡石があるか。 |