2025年1月19日日曜日

ドルメン類似遺跡/坪平遺跡(長野県諏訪郡富士見町)


長野県諏訪郡富士見町立沢

 

町指定史跡。埋蔵文化財上の正式名称は坪平遺跡だが、「ドルメン類似遺跡」の通り名をもつ。

日本のドルメンといえば鳥居龍蔵博士ということで、鳥居が大正11年(1922年)に訪れて命名した。

ドルメン類似遺跡の石碑

現地に残る遺構

ドルメン=巨石というイメージだが、そんなに目立つものではない。

実際のところは縄文時代後期(BC.1800年前後)の配石墓(石棺墓)である。

遺骸や埋葬を確定させる痕跡は見つかっていないが、遺構に接して土器片や石棒片、人形にも見える十字形石器が伴出した。また、後年の追加発掘で土坑墓と思わしきものを3基検出しており、やはり一帯は墓域だった可能性が高い。

配石墓は約4mの間隔を置いて2基が検出され、両方とも南北5m×東西4mほどの規模に渡って石積みがなされていた。

石棺墓の一つ。小さい石の上に大きいめの石が載るのがわかる。

下部に小さい石を積み重ね、上部に大きめの石を蓋替わりに置く構造をみせる。地表に露出した蓋石の様相を、鳥居は海外のドルメンに重ね合わせたのだろう。

とはいえ、地表に蓋された大石を見ればドルメンになってしまうでは、中世の経塚も古墳の石室も登山のケルンも地質活動の岩陰も、地表に石で蓋されれば同質である。共通項が大きすぎるのである。岩石の単純な積み上げだけを以て世界共通の文化を夢想すること自体に無理があるだろう。


世界規模での巨石文化論が崩れた今、この遺跡にドルメンという言葉を付けるのは不適切だが、考古学史上において「鳥居龍蔵ドルメン時代」の調査遺跡ということが名称からすぐわかるのは良いところである。

なお、ドルメンの別名として「支石墓」を用いる向きがあるが、現在の考古学における支石墓は基本的に弥生時代の墓制に限定された用語として通っているので、縄文時代である本遺跡に当てはめるのは適切とは言えない。


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