愛知県犬山市字冨士山
石上げ祭の献石祭祀
尾張富士(標高275m)とその南にそびえる本宮山(標高293m)の間には背比べ伝説が残っている。
尾張富士に鎮まる木花開耶姫命が「山の上に石を積んで本宮山より高くしたら望みを叶えよう」と村人に神託し、始まったのが石上げ祭とされる。
石を尾張富士の山中に運ぶ祭祀である。新しくとも天保7年(1836年)まで遡ることはできるが、それ以前の詳細は不明とされている。昭和・平成に入っても個人・企業の献石が続き、現在も毎年8月に催行されている。
登山道の両脇に無数の献石が置かれており、山頂にもうず高く石が積まれているからか、地理院地図上では標高275mながら山頂現地には2m高い標高277mの石碑が建てられている。
献石登拝道 |
献石の一例 |
山頂の献石。色のついた献石は麓の本社で授与されている。 |
人はなぜ石を積むのか(刻字の中の習俗) |
山頂の尾張冨士大宮浅間神社奥宮 |
『愛知県無形民俗文化財指定記念 石上げ祭』記念冊子(2024年)によれば、献石は木曽川などで拾ってきたものを使う。
明治時代までは自然石のまま献じていたが、大正時代以降は石肌に「献石」の字を墨書きするようになり、やがて字を彫りこむことが一般的となった。
八百比丘尼の岩
山腹に「八百比丘尼の岩」が存在する。
八百比丘尼は人魚の肉を食べて800歳まで生きたと語られる尼であり、全国各地に同種の尼の伝説が広がる。
八百比丘尼が尾張富士に登ったとき、山腹のこの場所で突然手が岩に吸い付き、離れなくなった。その夜、海女が参籠していると木花開耶姫命が夢枕に立ち、本宮山より高く石を積むように尼に告げた。これが石上げ祭の起源とされる。
尾張富士がかつて女人禁制の山の神信仰であったことも示す。今も岩には、吸い付けられた時についたという八百比丘尼の手形が残っているといわれ、岩の下部に白ペンキでマークされている。
八百比丘尼の岩 |
手形の白ペンキ表示 |
逆側より撮影。奥に写るのは中宮。 |
今は献石の群れの中に埋もれるがごとくひっそりと佇むが、時系列で考えればこの岩が献石の第一号であるかのようでもあり、献石の形が立石状であるのも八百比丘尼の岩の形状から由来するのかもしれない。
カマ岩/鎌岩(釜岩社)
遠山正雄 「尾張地方のイハクラに就いて」(1933年)によると、尾張富士の山頂近くに、カマ岩(鎌岩)なるものがあるという。
俗には、木花開耶姫命が木賊(とくさ)を刈る時に使っていた左鎌が発見された場所と信じられており、一種の信仰を集めるとのことである。
しかしながら、今では尾張富士を取り上げる時にカマ岩に触れる人や話に出会うことはまったくない。岩石信仰の消失した情報の一例と言えよう。
麓の尾張冨士大宮浅間神社の社務所に神職さんがいらっしゃったのでカマ岩について伺ったが、ご自身は着任されて5年ほどとのことで詳細はわからないとのご回答だった。
そこで、本項でカマ岩の所在を推測してみたい。
遠山氏が残した記述をヒントにすれば、
- 山のほとんど頂上に近い所の側面に位置する。
- 元来は頂上というべきだった場所。
- カマ岩を背にして里を俯瞰すると、木曽川を中心に尾張平野がよく見える。
とのことである。
つまり、ほぼ山頂のすぐ下に立地するとみて疑いない。
次に『尾張名所図会』に掲げられた尾張富士の絵図を見ると、山頂近くの9合目あたりの登山道沿いに「カマイハ社」の注記と共に一宇の祠が描かれている。
尾張冨士大宮浅間神社には境内末社の一つに「釜岩社」があり、これと同一と見てよい。釜岩は鎌岩に通じ、カマイハ社はこのカマ岩をまつる場に鎮座していたと考えるのが適切だろう。
では、実際に山中9合目あたり、山頂直下にそのような岩石はあるのか。
絵図が示すように、山頂の奥宮からやや下った登拝道沿いに、下写真の場所がある。
現在は多数の献石が立ち並ぶが、全体としてやや平場になっており、小祠を設けるスペースも十分ある。
献石の裏の斜面をよく見ると岩場が続いている。岩石の群れと形容もできるが、元は一つの岩肌からなっている。
岩場の最上部 |
この岩場を登りきると、そのすぐ上は自然に山頂奥宮に接続していた。
したがって遠山氏がいう「元来は頂上というべきだった」というのは、奥宮社殿ができる前はこの岩場が山頂として神聖な岩の上に登らず岩の下から仰ぎ見る「磐座」だったとの立場によるものであろう。
残念なことにカマ岩を背にしても樹林に遮られて麓の眺望は望めないが、これは近年全国的に山の手入れが追い付いていないことによるものであり、植林される前であれば麓を一望できる立地であることは想像に難くない。
絵図からの位置関係、そして、周囲にこれ以上の規模の岩石が見当たらない点を踏まえて、私はこの場所がカマ岩だったと推定する。
カマ岩地点からの麓の眺望 |
尾張富士の南支峰
尾張富士から南に延びる小ピークがある(標高240mピーク)。
そこには下写真のような露岩群が見られたので併せて報告しておく。この支峰の山名や露岩の詳細などは情報収集不足である。
南支峰 |
ピーク頂上はケルン状に石が積み寄せられている。 |
尾張冨士遠望。上写真でいう右側に延びる尾根が南支峰のピーク。 |
参考文献
- 遠山正雄 「尾張地方のイハクラに就いて」 『愛知教育』第551号(昭和8年11月号) 1933年
- 尾張冨士大宮浅間神社 『愛知県無形民俗文化財指定記念 石上げ祭』記念冊子 2024年
- 岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居) 著『尾張名所図会』後編巻6 丹羽郡,片野東四郎,明13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764892 (参照 2025-01-06)
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