2025年2月24日月曜日

高木寛治『石に救われる―石の書―』(2024年)書評

岩石の哲学に関する新著として、高木寛治氏の『石に救われる―石の書―』(吉備人出版 2024年)を読んだ。


高木氏はイワクラ学会理事として知られるが、氏の刊行歴に「石と在る」を見かけた時、ブログ「石と在る」の方だと初めてつながった。

「石と在る」は2005年~2008年に更新されていて、ブログ自体はまだ残っている。投稿内容を見れば石への造詣の深さは一目瞭然で、石を哲学的に思索する方として当時からとても気になっていた。このような形で邂逅できてうれしい。


2003年刊の第1集『石と在る』から、2023年刊の第5集『石を祀る―神々の里・総社のイワクラ(磐座)―』までの発表済み文章の自選という形をとる。

2024年の書籍と紹介するには高木氏にとっても古い言説も含まれると思うが、高木氏の言を借りれば「執筆から二〇年近い年月が経過したが、石に対する想いはほとんど変化していないことに驚くとともに安堵もしている」(p.45)の一文もあり、自選であることから2024年時点の一人の石好きの言葉として受け取ることができるだろう。


石の本の集成

高木氏の本書のもっともありがたいところは、古今東西の石の本を類を見ないほどまとめきり、本書に収録したことである。

私のように、岩石信仰に関する本だけでもない。一般的イメージの、岩石学・鉱物学からのアプロ―チだけでもない。

地学などの理系の石の本から、歴史、詩、小説に登場する文系の石の本まで、分野関係なく「石と人との関わりについて全体を展望する意図があって書かれたと思われる本」を蒐集している。


たとえば高木氏は水石(鑑賞石の山水景石)をきっかけに石拾いを始めたが、当時の水石ブームのなか高価で売買されていた風潮に異議申し立てをはかり書かれた河野宗一『石と人生』(私家版 1968年)、石仏に魅せられた自分に内的矛盾を感じて作品化したという佐藤宗太郎『石仏の解体』(学芸書林)、石狂・石道楽と称されて崑崙山を模した石崑崙を築いた石井金三朗『石崑崙』(私家版 1935年)など、まったく知らない石と人のディープな本が紹介されている。

数例を挙げるだけでも、それらを蒐集した高木氏の視点の独自性が窺われるだろう。

石の本を蒐集する+石に関する随筆を書くという両輪で、石と関わってきた著者。

高木氏の著書で知り、私が新たに買った本は次のとおりである。

  • 久門正雄『石の鑑賞』理想社 1954年
  • 河野宗一『石と人生』醇和同窓会 1968年
  • エス出版部『日本人と石』1992年
  • バード・ベイラー『すべてのひとに石がひつよう』河出書房新社 2017年
  • 白水晴雄『石のはなし』技報堂 1992年
  • 佐藤宗太郎『石仏の解体』学芸書林 1974年
  • 岩田慶治『草木虫魚の人類学―アニミズムの世界』講談社学術文庫 1991年
  • アンドレ・ブルトン『鉱物』国書刊行会 1997年

本書によって多くの石の関連本が散逸せず、高木氏に感謝しかない。


拙著『岩石を信仰していた日本人』も紹介いただいており、私のホームページ(2012年の文章ということで旧ホームページ)を以前より注目いただいていたとのことでありがたい思いである。イワクラ学会誌に私の論稿があればもっと良かったのではないかという過分なお言葉もいただいているが、私とイワクラ学会の関係は前記事に書いたとおりでご容赦願うしかない。

岩石祭祀事例集成表に粗密があると記した私の「言い逃れ」にも注意深く確認をいただいており、岡山県の場合は私が62例を挙げたのに対して別文献では岡山県の磐座が101例、「星と太陽の会」の探訪を踏まえると実際は数百カ所に上るだろうとの指摘も具体的でそのとおりと思う。

私が「おわりに」で書いた文を長めに引用していただいている。なぜ岩石信仰に興味を持つようになったのかという書き出しから、岩石の哲学的なアプローチを今後深めていくという決意表明の部分である。それから14年、一応このような形で宣言どおり哲学的アプローチのインプット中である。

感情を入れないように書いた本でわずかに感情を込めたのが「おわりに」なので、高木氏の求めるところと符合したのだと思う。昔書いた文章なので今は青臭さで恥ずかしいが偽りはない。

高木氏も書中で「いつごろから、なぜ石に惹かれるようになったのか、今となっては定かではないが、人の生活の根源をかたちづくっている石が、動物や植物、天候などの他の自然要素に較べ、多くの人から関心が払われる度合いが少ないことが背景にあるような気がする。石に関する書物は、店頭でもほとんど見かけない。」(p.159)と書いている。私の「おわりに」と通じ合う部分がして同感を得たりの思いである。


石の出会いときっかけ

高木氏は石に惹かれた時の自身の精神状態を、もったいぶらずに言語化している。

「『存在の不安』に根差している」(p.10)

「たまたま立ち寄った『石』の盆栽とも言える『水石展』で、形容しがたい石の自然美と沈黙、そして多様な形態を備えた不動の、静寂の中の、小さいが堂々とした存在に、なぜか心惹かれる思いがしたのである。」(p.11)

そして、高木氏は自らが石から離れられなくなっている理由を、自らの内面のみならず、古今東西の先達の本が記した「言葉」からヒントを得ようとしている。


その言語化に大きく寄与するものの一つが「石をモチーフとした詩歌」であり、たとえば加藤克己『石百歌』(四季出版)はその書名のとおり百首を越える石の短歌が収められ、とりわけ高木氏の石のイメージを豊かにしてくれたらしい。

使われる言葉が難解でなく、短く端的に表現される詩歌は「処世訓」にさえなったといい、高木氏はそのような詩歌に出会ったらノートにずっと書き留めていた。書き留めることで、自分の感情の解決に必要な時に引き出せるのだろう。

先出の加藤氏は自らの石の歌に対して、石は自分の生命そのものを宿したものと表したというが、その点で岩石が人間の写し鏡であり、岩石を通して人間を語っているに相違ない。

形式は変われど、私がブログで本書も含め、各種の記録を行うのと同じかもしれない。


生活の中の石

当ブログをお読みの方なら磐座・巨石信仰に興味のある方が多いだろうが、高木氏は水石と石拾いから磐座へ関心を広げた方なので、その関心領域は石の総体である。

信仰の石に関するものなら、次は古墳、墓石、石仏、石塔、石碑というところか。それにもとどまらない。

信仰や精神世界と一見無縁と思われやすい、生活の中の石にも着目している。


石垣

  • 城の石垣や石塁や石蔵だけではない。
  • 氾濫や洪水から防ぐための河川の石垣
  • 石垣の壁の家
  • 石垣の塀
  • 石垣でできた突堤
  • 田畑を守る石垣
  • 猪垣

その他の石

  • 石橋
  • 石段
  • 石畳、石敷きの道
  • 漬物石
  • 軽石
  • 砥石
  • 石臼
  • 力石
  • 鉄道線路の敷石
  • 投石 遊びとしてのつぶてから、儀式・戦争に用いられた石投げ、投石具、石弾まで
  • 硝石 爆薬の原料
  • 宝石
  • 薬石 鉱物から薬品や化学物質を取り出す
  • 温石
  • 碁石
  • 石焼き芋


子どもの石体験

山田卓三・編『ふるさとを感じる あそび事典 したいさせたい原体験3000集』(原体験教材開発研究グループ 農文協)には「石体験」の種類として次が挙げられるという。

  • 石に触る
  • 石のにおいをかぐ
  • 石をなめてみる
  • 石をたたく
  • 石を探す
  • 石を並べる
  • 石を割る
  • 石でたたく、つぶす
  • 石で絵や文字をかく
  • 石の上を歩く
  • 石で水切りをする
  • 石で的当てをする
  • 石けりをする
  • 岩登りをする

子どもを対象とする研究では、ヒトの先天的な精神・感覚の発露とみなす評価がある。

その点で、石の原体験という視点は興味深い。

高木氏はそれに加えて、「石を積む」「石で何かを模して玩具、置物、芸術作品にする」「石を熱くする」も提案している。


また、高木氏は子どもの頃に不思議に思った石について以下の事例を述懐している。

  • 軽石 石といえば重いイメージなのに軽いのが不思議だった。
  • 石炭 燃える石。蒸気機関車の時代には駅には石炭が山積みで、宝物のように思えた。
  • 磁石 川原で砂鉄を集めて遊んだ。石といいより金属の一種。
  • 化石 高い山の上に、海中生物の歴史が石の中に閉じ込められている地球のダイナミズム。なにもかもが石になっていく自然の摂理。
  • 鍾乳石・水晶 子どもながら欲しいと思った。
  • 蝋石 コンクリートや石敷き面に絵や文字を書いて遊んだ。
  • 硫黄 祖母や母が庭で硫黄を使って強烈な臭いと共に干瓢づくりをしていた。
  • 隕石 大人になってからも、隕石伝説に出会う。


これらの中には、大人になってから岩石の一種であると知ったものもあるという。

近代科学における岩石の領域とも言え、近代科学以前では石の概念に入らなかったものもあるだろう。その点で、どこまでを原初の人が石とみなしたものの精神と見るかには多少の腑分けや注意がいりそうではある。

それでも、高木氏の子供時代の生活体験の豊富さは、かつての石と人の関係を現代人が想像するに参考となる。

「当時、舗装された道路などほとんどなく、空き地もあちらこちらにいっぱいあった。そして、そこらには大小の石ころが無数にあった。しかし、今、世の中はうつろい、地面の多くが疑似石などで覆い尽くされ、それらの『石』はいつのまにか、すっかり身辺から姿を消してしまった。」(p.54)

そのように石がありふれていた時代に、特別視・神聖視された岩石とは何だったのだろうかという興味がもたげてくる。

少なくとも、現代、石の体験に乏しい私たちが物珍しさで驚くような巨石・磐座との感覚とはまた異なるだろうことは想像できる。


体の中の石

「私には、動物の体の中の『骨』や『歯』、体を覆う亀の『甲羅』、貝や蝸牛などの『殻』は、一種の石ではないかと思えて仕方がない。」(p.40)

硬さの象徴、白さの象徴としての石というだけの随想ではとどまらず、高木氏は後漢末の成立とされる『釈名』の「地は石を以て骨と為す」も紹介している。石と骨の同義を説くものであり、久門正雄『石の鑑賞』(理想社)では石の異名を「地骨」「山骨」「山体」「天地の骨」と称し、天地をつなぐものを「雲根」と称したのは、すべて人が石を自然界で見立てた精神観である。


高木氏は医師としての知識から、体内をめぐる鉱物と人の関係にも注目する。

動物は石を作ることができるという次の例示は、氏ならではの観察眼、本領発揮と言える。

耳石は、内耳の耳石器にあり、体の均衡を保つもの。

結石は、詳しくは尿路結石、胆石、唾石、扁桃結石、静脈結石、膵石、胃石、腸結石、鼻石、歯石に分かれ、詳細の成因は異なるという。

体内の石も、重要でもあり有害にもなる二面性を語るもので、体内の石が人に牙をむいた時、真摯に向き合うことが石との付き合い方に通ずると高木氏は述べる。


自然石を動かすことについて

水石にせよ石拾いにせよ、それらは自然石の本来あった場所を移動して、場合によっては一部に手を入れて加工・切削され、置かれる場所も人の意図によっては配置される。

自然石を愛でるとはいえ、これは本当の自然を対象とした精神といえるのかという疑問はある。

これについては、高木氏が古本で見つけた内藤濯『未知の人への返書』(中公文庫)の中の作品「石を前にして」の記述に一つの答えがある。日本庭園における庭石や飛石の置きかたについての考えである。孫引きとなるが下記掲載する。

「飛石をならべたのは、むろん人間である。だが、この場合は、自然が人工を見えなくしているのである。あるいは、自然が人工を美しく生かしているのである。自然の生き方――ひいては石の生き方と、人間の自然の生き方との調和ということがもし考えられるなら、それこそ美しさの絶頂であろう」(pp.172-173)


高木氏の石の哲学

本書における核心部分の記述は以下にある。

「人類の営みの全体が、石の増殖への協力加担ではないか」(p.48)

「石のなかの原子力までもとりだしてしまった人類は、今、すこし立ち止まって、見えない石(宇宙)の大きなたくらみがひそむ『石の夢』の分析を行ってみる必要があるのではないだろうか。そのためには、石との対話を深めていくことが避けられない」(p.49)

「石の夢」とはシャルル・ピエール・ボードレールの同名の詩から借りた表現であるが、高木氏は澁澤龍彦が言うところの「石は大地という源泉に所属する」という石の哲学や、栗田勇の「1個1個の石の中に神の世界、夢の世界がある」という言説を受けて、こう結ぶ。

「いわゆる石(宇宙の要素とみなしたい)は生きている、石は人智では、理解の及ばぬ深いたくらみを抱いているのではないかとの想いがふくらんでくる。」(pp.255-256)

石は宇宙の要素として生きていて、それぞれの石は生物時間とは異なる経過の中で生きるように夢見ていて、石の中で夢が無限大に増殖している、それを人間は1個の石からどれだけ受け取っていけるかということと私は解釈している。


高木氏が著書で繰り返し引用・紹介する記述の一つに、絵本『すべての人に石がひつよう』訳者の北山耕平のあとがきがある。変化の時代には自分の石を見つけて、その石と共に残りの人生を歩むことで、地球由来で小さな地球ともいえる石が記憶装置となってくれることの心強さを伝えている。

高木氏も本書の「おわりに」で、国民1人1人が、自宅内やベランダにでも置けるような手ごろな石を持つ習慣を提案している。それより良いとするのが、近くに参拝するような磐座を再発見することというが、これは住んでいる土地によるだろうとして手元の石を推奨している。

これは現代にゼロから創られた文化ではなく、武士の家の生まれだった津田左右吉が誕生日の祝いには小さな石が1個添えられ、毎年の誕生日では常にその同じ石を用いたそうである(長田弘『本に語らせよ』幻戯書房 2015年)。その人の一生の石という風習についてどこまで遡るのかは研究が不足している。


人類の歴史の99%は石器時代ということで、高木氏は石と人の不可分な関係を説く。

たしかに、人と石の関わりは「石器」という二文字が放つ一般的イメージ以上に、単なる加工と利用の関係にとどまらない。高木氏が引用する岩田慶治『草木虫花の人類学―アニミズムの世界―』(講談社学術文庫)にあるように、代々研磨加工、そして労力を重ねられて光沢を放つ石器はもはや宝器や精神的象徴のようなものである。

しかし一方で、石器時代というのは石器、つまり石が腐らず地中で残りやすいからこそ考古資料として残りやすいに過ぎない。

ヒトは石だけでなく、身の回りに存するものをすべて利用に用いていたはずで、草木との関係、水・風や日々変わる天候、そして虫から猛獣にいたる他の生物との関わりなど、これら有機物は残らないから結果的に石のウエイトが大きく見えていないかにも気をつけたい。もちろん、そういった石の遺存性自体は注目するに値するが、やや歴史を俯瞰する現代人視点に囚われている。

子どもの原体験として石に触る、石のにおいをかぐ――の例が挙がったが、それは赤子が身の回りのものをすべて手に取って口に入れるがごとく、石に限らずおこなわれたことだろう。そしてそれぞれの自然物や身の回りの「物質」から感受する精神があって後天的な知識・経験の獲得につながっただろう。

私は、他の自然物とは異なる、石からしか得られない感受・精神とは何だったのかを追究していきたい。

そして、石に感受しなくても石を利用することはできる。人間社会の中で、感受した人に倣えば石の使い方は模倣できるからだ。岩石信仰でさえ、真の意味で信仰心を感受できたのは一部で、社会の序列の中で石に感受しなくとも建前として石をまつった人々もいた。

「石は、成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、それでも万が一ひきとめられるような人がいると、もう、とらえられて放さなくなるのが常である」(p.191/アンドレ・ブルトン『石の言語』より)のである。

石を利用することは数多あれど、石にとらわれて離れられなくなる人は、また別の精神なのである。

石を利用することと石を感受することは異なるという視点で、石と人のある種純粋ではない関係も見ていかなければならない。

その際には、あまり近代科学以降の知に寄りかからないようにはしたい。西洋を石の文化、日本を木・紙・水などの文化と対置する、あるいはそのアンチテーゼを問う言説などもその一つである。しらずしらず、自分が「最近」のだれかの言葉で語ってしまわないためだ。


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